羽田圭介 (2015). スクラップ・アンド・ビルド. 文藝春秋.
key words:足し算の介護と引き算の介護, "急降下"
「早う迎えにきてほしか」(:10)
「毎日、そいだけば祈っとる」(:11)
ことあるごとにそう呟く要介護老人である87歳の祖父.
それに対して厳しく, つまり引き算の介護で接する母
(祖父の娘).
そして, 祖父の「早く死にたい」という願いを足し算の(手厚い)介護によって(本気なんだかどうだか)助けてやろうとする28歳の息子・健斗 (無職・就職活動中・筋トレ中).
ひとつ屋根の下で暮らす3人を中心に, 物語は穏やかに進んで行く.
「死にたい」と盛んにぼやく祖父だが, その言葉とは裏腹に, 「部屋からトイレまでのたった五メートルたらずの距離」を「絶対に痛い思いはすまいと」慎重に杖をつきながら歩く
(:14).
「朝七時前に「殺せ」と母相手にわめき散らしてからおよそ九時間後」には「「いただきます」と言い」バウムクーヘンを食べ始める
(:30).
さらには「冷凍ピザに野菜をトッピングしオーブンで焼くという、己の欲望を満たすための複雑な家事を隠れて」したりするのだった
(:78).
一方で, そんな祖父の姿を目にしながら「中途採用面接にも受からず金もない身で」ある健斗は, 日々の筋トレを日課とすることで, つまり肉体の健康を得ることで安心感を得ている
(:65).
そしてまた, 老いていく祖父のそばにいることで, 若々しい自分には尊い価値があると感じるのだった.
寄り添い・寄り添われつつも, それだけではない….
小説では, そんな二人の複雑で巧妙な政治が描かれる.
だが, 物語の終盤, 風呂場で溺れた祖父を助けた健斗は思い至ることになる.
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自分は、大きな思い違いをしていたのではないか。
悪くなるばかりの身体で苦労しながら下着をはく祖父を見ながら健斗は、心を落ちつかせようとしていた。こうして孫をひっぱりまわるこの人は、生にしがみついている。(:116)
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祖父に対して一方的に憐れみの感情をもっていた健斗が, 精神と肉体との乖離, あるいは発せられる言葉と本当の思いとの乖離…, そんなことに思い至り, すっかり祖父の味方だと思っていた自分が(あるいは祖父よりも若く逞しく優位な存在だと思っていた自分が)実はそんなことはなかったのだと愕然とする場面だ.
そして読者は, この小説は介護する人とされる人との単純な物語ではなかったのだ, と改めて気が付くのだ.
本当は何をスクラップして, 何をビルドするか/すべきかの問題は, そう単純ではない.
最後の最後に, なんだかもやもやが残る小説だった.
(写真は10年ぶりくらいでお邪魔した, 仙台市・泉の「Notre Chambre」. 美味しかった塩バタークレープはメニューからなくなっていて, この日いただいたのは「ポワローク
レームガレット(葱と豆乳と米粉)」と「ココナッツオイル&ココナッツシュガーのヴィーガンクレープ(玄米粉と全粒粉のクレープ)」. どちらもとても優しい味で美味しかったです)