2/25/2012

ACIDMAN This is instrumental


ACIDMAN This is instrumental
2012.02.08.released / TOCT-28087

何かの雑誌で,「自分たちの名刺代わりになるものがあればいいなと思って, ベスト盤を製作することにした」, いっていたのを目にした.
バンド結成15周年, メジャーデビュー10周年のACIDMAN.
そんな彼らが準備した名刺は, これまでのシングル曲を中心に集めたものと, そしてもうひとつ, インストを集めたものであった.

jazzyな雰囲気で始まった, そのインストのアルバム.
3人の緻密なアンサンブルが見事だ.
淡々と進んでいきながらも聴く人を飽きさせない演奏から, 一人ひとりの演奏レベルが高いことがよく分かる.

アンサンブルはときに耳元でささやき, ときに野外で弾ける.
突然華やかになった8曲目(4拍子)から9曲目(すり足で歩くような5拍子のwalking bass)にスっと移っていく感じがいい.

奇を衒うようなことは無い.
落ち着いた大人の演奏は, 10年の自信を感じさせる.

こんな3ピースバンドが, これまでいただろうか.
インストバンドとしても独自な音楽感, 空間をつくり出している.
歌をうたうときのACIDMAN, テキストにとてもこだわっている.
それが無いときの音へのこだわりまた, やはりとてもcoolなの.

東京事変はラスト版としてライ盤を選んだ.
最後までライを聴いてほしい, ライにこだわるのが自分たちのスタイルなのだという宣言がそこからは感じられる.
一方, 自分たちの名刺代わりとして, ACIDMANはインスト盤を選んだ.
言葉と同じレベルで音も聴いてほしいという想い, そこからは感じられる.

THIS IS INSTRUMENTAL(初回生産限定盤)(DVD付)

2/18/2012

吉村龍一 焔火


吉村龍一 (2012). 焔火. 講談社.

key words:狸撃ち, 鮭漁, 瞽女, 石切り

どうかこのまま静かな日々が続きますように….
もはや縋る気持ちでページを読み進めた.

愛する人を守るために, 主人公の少年・鉄は殺人を犯す.
そして故郷に別れを告げ逃亡するのだった.
 
狸撃ちや山の暮らしを通して身に付けた知恵を役立てながら, 鉄は新しい土地へ必死に順応しようする.
次第に働くことの幸せ, 人のあたたかさ, 生きる喜びを取り戻していく鉄.
しかし, 束の間の幸せはことごとく握りつぶされ, いつも土壇場でひっくり返されるのだった (124).
最後まで, ずっと.
もしもそれを運命というのなら, あまりに惨い.
安住することも許されず, 愛する人と一緒にいることも許されない.
 
そんな惨い状況が重なるなか, 一度は死を選ぼうとする主人公.
しかし, 自由を奪われるたびに鉄は, やはり生きたいと思うようになっていくのだった (136).
文中のところどころにあらわれる食べ物の描写や瑞々しい自然の見事な描写も, 過酷な運命に抗って生きようとする主人公の生への欲求に繋がる.
 
物語の最後, 自分とその境遇を重ね合わせる少年・作次と出会ったことで, 鉄の生活はまた新しい喜びを得る.
しかし, 作次を取り戻しに来た人攫いたちが, またしてもその幸せを握りつぶす.
そのラストシーンが圧巻である.
凄みのある文章を次々読み手に与えた後, 物語は断ち切られる.
スピード感に溢れ, まさに手に汗を握るラストである.
 
「焔火」は憎しみの火.
瞽女のあや子から, 石切りの導師・青雲海さまから授かった真言を身の内に, 鉄はその焔に最後まで抗う.  

2/11/2012

星野源 フィルム


星野源 フィルム
2012.02.08.released / VIZL-456

さっきから何度聴いただろうか.
この中毒性, 「ばかのうた」や「くだらないの中に」に同じく, やはり強力だ (2ndアルバム「エピソード」は実はそうでもなかったのだけれど…).

「ホントにねぇ, いい映画なんですよ, 中身が. だから, 絶対いい曲作ってやると思って」

DVDでそう言っていた星野源.
タイトル曲「フィルム」は映画「キツツキと雨」の主題歌になっている.
すぐそばにあるような歌の相方として選んだのは, ギター・ベース・ドラム・ピアノ, そして, バイオリン・チェロ・クラリネット・トランペット・トロンボーン・ホルン・手拍子だ. 

優しいホーン・セクションと手拍子に乗せて歌われるのはこんなうただ.

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どんなことも 消えない小さな痛みも
雲の上で 笑って観られるように

どうせなら 作れ作れ
目の前の景色を
そうだろ

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役者としての自分は, たとえ凄惨な場面であったとしても, 虚構と現実を行き来するのを楽しんでいる.
では, 普段の人生での苦い部分にもそれを適用できないか….
そう思った, と歌い手はいう (ブックレットより).

優しさの裏側(向こう側)にある力強い言葉が, このアーティストの一番の魅力だと思う.

「そして生活はづつく」(星野源 (2009). マガジンハウス)で星野源はこう書く.

あと少しで死んでしまうというとき、走馬灯のように人生を振り返って「ああ、ひとりじゃなかったんだ」と思えたら、きっとすごく幸せなんだろう。けどもし自分がひとりでないなら、なるべく早めに気付きたいとも思う。(同書:183

「そしていつものように生活はつづくのだ」, .
その生活に溢れている優しさを, アーティストはそっと拾い上げる.
素直にそれを表現し歌うことは, とても勇気がいることだ.
それができる強さと優しが, きっとこのアーティストにはある.

そしてもうひとつ, 「くだらないの中に」もそうだったが (SAKE ROCKもそう, 「ラディカルホリデー」なんて最高だ), DVDがとてもいい.

笑って泣いて, しばらくはこの世界を堪能したいと思う.

フィルム(初回限定盤)(DVD付)
ばかのうた
くだらないの中に(初回限定盤)(DVD付)
そして生活はつづく
ラディカル・ホリデー その1 [DVD]

2/05/2012

東谷護 拡散する音楽文化をどうとらえるか②


東谷護編著 (2008). 拡散する音楽文化をどうとらえるか. 勁草書房.

key words:ポピュラー音楽, 音楽文化

続いて, 第部「ポピュラー音楽の〈過去〉とどう対峙するか」に含まれている4つの論文とコラムを読む.

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5章 グローバル化にみるポピュラー音楽(東谷護)

東谷は, 場所や空間の捉え方についての人文地理学のモデルを援用し, ポピュラー音楽の特色を確認したうえで, 音楽のグローバル化を進める際立った媒介(=メディエーション)に着目しながらその問題を指摘しようとする (111).
そこで指摘される問題とは, ポピュラー音楽のように商品として世界各地に大量配信される(:116)音楽は, 場所という固有性においては捉えることができない, ということだ.
そして, 「場所」や「地域」の音楽を「空間」へと飛び立たせたシステムについて, メディエーションを主軸に添えた4つの時代区分(五線譜が威力をもった時代, 米軍基地が威力をもった時代, マス・メディアが威力をもった時代, マルチ・メディアが威力をもつ時代)ごと, 事例を中心に検討していく (118).

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6章 音楽言説空間の変容:価値増幅装置としての活字メディア(南田勝也)

商品としてのポピュラー音楽をアンプリファイ(価値増幅)してきた(:140)音楽雑誌は, どんな影響力を持ち, そしてなぜ衰退していったのかを問う南田は, ポピュラー音楽が「商品として生産され」ているにもかかわらず, ロック音楽など「ある種の音楽文化においては、強く商業主義を批判する言説が存在」(:134)すると指摘する.
それは(商品として生産・仲介・消費される音楽が、商業主義に敵対的なそぶりをとるのは)「非貨幣的な幻想(=価値)を産出する装置としての音楽関連メディアが、そのことを後押ししてきた」(:159)からだとする.
そして, インターネット時代になり, これまで音楽関連メディアが醸成しアンプリファイしてきた価値は, ファン共同体が自律的に運営・維持するものへと変化している, とする (:同).

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7章 「演歌」の誕生:「主流」と「対抗文化」の交差点として(輪島裕介)

輪島は, あるスタイルのレコード歌謡が「演歌」/「艶歌」として認識されてゆく過程を検証し, 日本のレコード歌謡に関する一定の歴史的な共通了解が形成されるメカニズムを描きだそうとする (165).
つまり, 「一面では過去の恣意的な誤読」であった「演歌」のジャンル化によって, 「演歌的」なるものが以前から脈々と受け継がれてきたかのような歴史観が構築された(:166)ことに着目する.
輪島は「かつては主に西洋芸術音楽を指示していた「洋楽」の語が、ある時期から主に英語圏のロックやポップを指示するものへとその力点を変化させたこと」(:169)も指摘する.
また, 音楽的な面からも, 輪島が指摘する「日本のレコード歌謡を特徴付けてきた和洋折衷的な側面、つまりスウィング、ハワイアン、シャンソン、タンゴ、ラテン、ウエスタン、ロカビリーなど時々の流行の「外来」サウンドを無節操に取り込み、必要に応じて小唄、端唄、都都逸、民謡など既知の素材と混ぜ合わせてきた驚くべき雑種性」が「日本人の地」の純血性の主張によって不可視化された(:189-190)とする.

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8章 ポピュラー音楽の〈リ〉サイクル:「甲子園」を読み直す(周東美材)

周東は, 「流行り廃り」で特徴づけられる「ポピュラー音楽」の中においても, 長い間歌われ演奏され続けてきた楽曲もあることを指摘する (200-201).
そこで甲子園球場に鳴り響く音楽に着目し, ポピュラー音楽が人々にどのように享受されているのかを炙り出そうとする (201).
応援に使用される楽曲にみられる「特定のパターンや「つかみ」が強調されて作られる」といった特徴や (213), 「ヒット」時に演奏されるファンファーレに着目して (221), 音楽の伝播, 継承, 変容を考えようとする視点はとても面白い.
※余談だが, 甲子園の応援に「友情応援」(吹奏楽部の遠征が困難な遠隔地や吹奏楽部をもたない学校の場合、兵庫県内の学校が代わって演奏する)という慣習がある(:227)ことを初めて知った….

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コラム ポピュラー音楽の体験と場所:もしくはローカルアイデンティティ(大山昌彦)

大山は,(脱地域的で「根無し草的」な文化であった)ポピュラー音楽が, ダンスという消費を通じてローカリティ(「その場所のダンス」, 「その場所の音楽」といったもの)を生み出す(:236)現象を, 「脱アウラ化された文化の再アウラ化ともいうべき体験」(:237)として指摘し, それは興味深いことだとする.

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いずれの論考でも, 「商品」として「産業的に」生産されるポピュラー音楽が, 商品であるからこそ, 作り手とユーザーとの関係の中で育てられ, 多様化していった様子が描き出されている.
その視点の定め方はとてもユニークだ.
そして, その「つながり(メディエーション)」へ着目する視点のユニークさは, すべての音楽文化研究へと応用されるべきものである.
今や多くの音楽がメディアとして人と人, 人ともの, 人と場所を繋いでいるのだから.

拡散する音楽文化をどうとらえるか (双書音楽文化の現在)