5/29/2016

東響 第95回新潟定期


東京交響楽団 95回新潟定期演奏会
2016.05.29, 5 pm start / りゅーとぴあ 新潟市民芸術文化会館 コンサートホール

ウルバンスキの2度目となる新潟定期.
今回のプログラムはプロコフィエフとチャイコフスキー.
オール・ロシア・プログラムは今回も含めて, 今年度3回あるのだとか.

まずはプロコフィエフのピアノ協奏曲第3 ハ長調 作品26.
ピアノはアレクサンダー・ロマノフスキー.

第一楽章, 空中から音を編み出すようにクラのアンサンブルを始めたウルバンスキ.
すぐに音楽は躍動的なものに変わり, 歯切れのよいピアノが快走する.
以降, まるでスポーツのように技を競い合うピアノとオケの共演が見事.
どの仕掛けも分かりやすくこちら側へと聴こえて来て, 複雑な細密画を観ているかのような気分になる.
クライマックスを迎え, 音楽は右手を高らかと掲げた指揮者によって締めくくられた.
第二楽章は風変りな踊りのような変奏曲.
ここでもそれぞれのフレーズのキャラを別個に際立たせながら音楽は進んで行った.
唐突に第二楽章が終わったのち, 一呼吸おいてすぐに第三楽章がスタート.
再びピアノとオケの技比べがはじまる.
ロマノフスキーは難曲をこれまた快走し, 最後のハーモニーまでオケとともに明るく上りつめた.

アンコールに応えてピアニストが弾いてくれたのは, ショパンのノクターン嬰ハ短調・遺作.
湖のような, 憂いのある音で情感たっぷりに歌い上げた.

休憩ののち, 続いてはチャイコフスキーの交響曲第4 ヘ短調 作品36.
暗譜で振るウルバンスキ.
第一楽章ではファンファーレを恐ろしいまでに高らかと響かせたあと, まるで祈りのような深さを見せた.
指揮台で踊るウルバンスキが悲劇の中の登場人物に見えてくる.
やがて第二主題が長調で現れると, それは夢の中だけの儚い幸せのように聴こえて来るのだった (それほど第一主題の憂いが鮮烈だった).
終盤のファンファーレはさらに強烈.
それと消え入るような弱奏部の響きのコントラストが鮮明だった.
楽章ラスト, 不吉な力は深く深く刻み込まれ, 余韻たっぷりに締めくくられた.
第二楽章はObによって始められる哀歌.
やがてオケ全体でうたわれた厚みたっぷりの響きが美しかった.
なんともロマンチックな音楽, 終盤のFgbravo.
第三楽章, pizzの弦楽はかわいらしくスタート.
楽器間を渡って行く音のwaveが目に見えるような演奏.
それを引き継ぐ木管アンサンブルは素朴な響き.
金管もやさしく続き, 束の間の安息を見せた.
そして第四楽章は, 鮮烈なファンファーレで打ちあがる花火のようにスタート.
執拗に繰り返されながら徐々に上りつめて行く仕方がドラマチック.
ようやく全員によるtuttiになった音楽はなんともゴージャスで, 手に汗にぎるラストだった.

先の先のさらにその先まで, ずっと見通しているかのような演奏スタイル.
全て頭のなかで組み上げられているのだろうか.
ノイズを取り除いた解像度抜群の画を観ているような, そんな鮮明さ・すっきりさを, 前回に続き存分に楽しめた (空席が目立ったのだけが残念だった…).

(写真は朱鷺メッセ近くの「とんかつ政ちゃん」. 柔らかいカツに甘目のタレが美味しくて, パクパク食べてしまいました. 夜にいただいた鰯や黒メバルのお寿司も美味しかったです. もうそんな季節です)

5/25/2016

原田知世 恋愛写真2


原田知世 恋愛写真2:若葉のころ
2016.05.11 / UCCJ-9211

自身の少女時代をテーマにしたという, ラヴ・ソング・カヴァー・アルバムの第2.
荒井由美(「やさしさに包まれたなら」)もキャンディーズ(「年下の男の子」)も, そして小沢健二(「いちょう並木のセレナーデ」)までも, 彼女にかかればどこか切なさを纏いながらそこはかとなく優しく湧き上がる.
どの曲も心地よいが, 驚くのは「キャンディ」(原田真二)と「異邦人」(久保田早紀).
シンガー・原田知世の実力を存分に味わいながらも, 70年代にはこんなすごい曲たちが流れていたのか…, と改めて思うのだった.

(今日のコンポージアム (一柳慧「ベルリン連詩」ほか), 行きたかったなぁ…)

5/22/2016

南木佳士 ダイヤモンドダスト


南木佳士 (1989). ダイヤモンドダスト. 文芸春秋.

key wordsF4D型のファントム, 水車

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雪どけの水がいく筋もの細い濁流をつくって流れる日々が過ぎても、路は黒っぽくて湿って乾かない。頭上に五月の夕暮れどきの陽光を隠す広葉樹の群れを仰いで見るまでもなく、スニーカーの底を柔らかく受けとめる腐植土の感触は、そう遠くない昔、このあたりが深い森であったことを教えていた。(:138

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冒頭の描写の美しさに, 最初の数行を何度も読み返した.

南木佳士「ダイヤモンドダスト」(単行本には表題作を含めて4作が収められている)には, 土地バブルを経験し変わりゆく街に, それでも静かに, 誠実に生きる看護師・和夫と, その父・松吉, 幼い息子・正史 (妻・俊子はガンで亡くなっている), そして和夫の幼馴染み・悦子の, 短くもあたたかな生活を描く.
和夫の母は, 彼が小学4年生のときに亡くなった.
その病院で医師が幼い彼に言った言葉がある.

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「人間てのはなあ、いつかは死ぬんだぞ。そのいつかってのはなあ、こんなふうに、風が吹くみたいに、ふいにやって来るもんなんだな。普通のことなんだぞ。珍しいことでも、怖いことでも、なんでもねえんだぞ」(:174

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この言葉が, その後 静かに, 誠実に生きる彼の背景となる.

物語には, 変わりゆく街のなか, 人の死を, 自分の思いではどうにもならない多くのことを経験してきた和夫の地に足の着いた静かな暮らしが綴られている.
ゆっくり穏やかな暮らしだが, 決してその生活に平凡などという言葉は当てはまらない.

(写真はお昼にお邪魔した会津若松市「Cafe Baku Table(ギャラリー「ひと粒」内に併設されている素敵なカフェです) でいただいた季節のごはんプレート. 豆腐とひじきのハンバーグに, たくさんの種類のお野菜が美味しかったです. デザートにいただいた「めごめごさんの葉玉ねぎプリン」は, う~ん, タマネギの味(笑)!)

(↓amazonのリンクは文庫本です)

5/16/2016

絶望でもなく、希望でもなく


2016.04.02 - 06.27 / はじまりの美術館(猪苗代町)

最初の展示はワタノハスマイルによる作品の数々.
石巻の渡波小学校の校庭に流れ着いた町のカケラ(瓦礫)から思い思いのオブジェクトを製作した12人の小学生による作品.
材料のひとつひとつに目を向けると切なくなってしまうが, 出来上がった奇想天外な作品の群を目にすると, その自由な発想の数々に作っていたときに聞こえていたであろう子どもたちの声が甦る.

続いて, 近藤柚子「70億面体のワニの脳」.
渦巻いて, 滲んで, 触発しあって, そうして繋がっていく色とりどりの線と線.
それは画面をはみ出して, もっと先, 向こう側へと延びていく.
フレームが先にあってそこに画をはめ込んだのか, それとも拡がり続ける大きな絵が先でその一部を切り取ったのか…, それはたとえば, ずっと続く日常から一部を取り出して日記に認める作業と似ている気がする.

その隣には, 山中紅祐による作品が展示される.
ミニマルな作風が面白い.
モチーフになっているのは架空の都市名が記された時刻表や路線図, あるいは不思議なカレンダーなど.
紙に鉛筆やボールペンで書かれたキュートな作品の数々に思わずにんまりしてしまう.

奥の展示室では, 太田貴志による紙で作られたパトカーや救急車などの作品(車が好きなことがぐんと伝わってくる)や, 和合亮一の「雲をめぐる」と題された写真のスライドショーと詩の朗読, マルチチュードな状況への寛容さが清々しい(!)十中八九の作品 (立体・平面作品と, ライブ映像を取り混ぜたビデオ作品. シーラマン(半魚人)も, ブルボンじいちゃんのファンキーさも素敵), そして小松理虔×tttttanの作品(時間の経過とともに薄くなっていくFAX感熱紙の上に黒いペンで書かれたドローイング)が展示される.
どの作品を観るときも詩の朗読が絶えず耳に入ってきてしまいなかなか集中できないのが残念だったが(あるいは言葉が絶えず漂っている状況を狙っていたのだろうか)…, それぞれ気になる作品たちだった.

展示の最初に, 今回の企画展は「福島や東北で日常を表現する作業に焦点をあてた」ものであることが, 主催者のことばとして紹介される.
「日常」とよばれる日々の暮らしをじっくり見つめることは, 実はとても難しいと思う.
当たり前すぎて見落としてしまうことがたくさんあるし, あるいは記憶が邪魔をして真っ直ぐに見ることができなかったり, どこか気恥しさがあったり….
特別なことではなく, たとえば木々が風で揺れること, 一口飲んだ水がこんなにも美味しいということ, 大好きな人の笑顔に思わず笑顔で応える瞬間の愛しさ….
そんな日々の暮らしを素直にアートにできるのなら, そんなにも素晴らしいことはないと, そう思う.

(写真はお昼にお邪魔した, 喜多方「つきとおひさま」. 旬のおかず定食のお料理はどれも美味しい(特に, 車麩の入った肉ジャガと人参とオレンジのマリネが絶品)! やますけ農園のどんぶらたまご(たまごかけご飯用)とともに, ぺろっといただきました~お店ではヤンマのお洋服の受注会も開催中で会津木綿の手触りがなんとも心地よかったです

5/07/2016

宮下奈都 羊と鋼の森


宮下奈都 (2015). 羊と鋼の森. 文藝春秋.

key words:秋の夜の森の匂い, 音が肌に触れる感触, 調律師

高校生だった外村は, ある日 調律師である板鳥宗一郎が体育館のピアノを調律する場面に立ち会う.
その音を聴いたとき, 彼は「そこから生まれる音が肌に触れる感触」(:8)を初めて知り, そこに森の匂いを感じたのだった.

それまで「美しいものに気づかずにいた」(:19)少年は, そこから調律師を目指すことになる.
物語は, 晴れて調律師となった外村と, 先輩調律師である柳や秋野, 楽器店の北川, そして和音と由仁という双子のピアノを弾く姉妹をめぐって進んで行く.

双子の姉妹が弾くピアノに調律師の仕事の意義を感じながらも, 自分がどんな音を目指していけばいいのか分からなくなる外村に, 先輩調律師である板取が理想の音についてこう言う場面がある.
「明るく静かに澄んで懐かしい文体、少しは甘えているようでありながら、きびしく深いものを湛えている文体、夢のように美しいが現実のようにたしかな文体」(:57)と.
原民喜の言葉なのだが, 以来, この言葉が表すような音が彼の目指す音となる.

物語の終盤, 柳の結婚式でピアノを弾く和音の音の描写が印象的だった.
「一度両手を膝の上に戻した後、ゆっくりと曲を弾きはじめる。あまりにも自然に始まったので、身構える暇もなかった。その辺に漂っていた音楽をそっとつかまえて、ピアノで取り出してみせているみたいだ。どこにも無理のない、自然な動き。和音が弾くと、何もかもが自然に見える。」(:227
その他にも, 本書には音や音楽についての素敵な表現が多数あらわれる.

タイトルである「羊と鋼の森」は, 調律師が歩き続けていく広大な森のことだ.
フェルトとピアノ線で作られる森を歩いていく外村のこの先が気になる一冊.

(写真は久しぶりにお邪魔した福島市飯坂温泉「餃子の照井」. 円盤餃子はもちろん美味しかったのですが, らぁめんも上品な醤油味で美味しかったです!)