4/26/2014

桑原あい the Window


桑原あい トリオ・プロジェクト  the Window
2014.04.23 / EWCD0195

ロックバンドの楽曲のように(!)始まった2曲目「"Into the Future or the Past?"」(pf桑原あい, eb森田悠介, ds今村慎太郎)はドラマチックに展開してやがてcoolでメロディックなうたになった.
はじめからぐっと引き寄せられる.
バントメンバーの相性のよさが伺える3曲目「Time window」や5曲目「Innocent reality」は聴いているこちらも思わずにんまり, そしてスッキリする楽曲だ.
フーガのようなピアノソロが圧巻の4曲目「A little weird」も素敵.
6曲目, かわいらしい小品「Empty-window」に続いて7曲目「Whether or not」はベースがcool, 10分近くある大曲 (4, 5, 7曲目のドラムは石若駿).
そしてどこか哀愁漂う響きが心地よい9曲目「Loveletters」の後は とろけるピアノバラードが印象的なラスト10曲目「Cradle.

jazzってなんなんだろう, , 当然の如くそんな一言には収まらない 桑原あいの音楽を聴きながら, 素朴にもそう思ってしまう.
3人の音遊びが存分に楽しめる1枚だ

4/19/2014

佐々木敦 シチュエーションズ


佐々木敦 (2013). シチュエーションズ:「以後をめぐって」. 文芸春秋.

key words:以前, 以降, 距離

月並みな言い方しか出来ずにもどかしいが, 佐々木敦はアーティストなのだと思う.
文と文のあいだに, 感情が溢れている.
彼の批評にドキっとし, 息苦しくなるのはそのためだ.

本書は, 「文學界」の20125月号から20138月号まで全15回連載された同名の論考を纏めたものである(:280)という.
単行本としてまとめられる際に文章は7つの章にまとめられ, それぞれ「第一章 失語に抗って」,「第二章 フィクションの臨界点」,「第三章 当事者とは誰か?」,「第四章 被災地で、海外で、」,「第五章 「以降」の小説」,「第六章 「言葉」たち」,「第七章 何ができるのか?」とタイトルが付けられている.

印象的だったのは第三章だ.
せんだいメディアテークで行われた「シネマてつがくカフェ『震災と映画』」で行われた議論をきっかけに, 文章ははじまる.
震災を機に撮られた映画についての参加者のコメントに触れたのち, 論は映画監督らの発言に及んでいく.
佐々木は, 震災を撮った映画監督ら(冨永昌敬, 舩橋淳, 園子温)の幾つもの「当事者性」に触れ (184), 「「究極の当事者」が「死者」であるのだとしたら、もう一方で、この出来事とは完全に無関係な他人、すなわち「究極の非当事者」もまた、この世界にはひとりとして存在していない」(:185)とする. 
そして, 「われわれは皆、程度は違えど幾らかは「当事者」であり、と同時に、常に中途半端な「当事者」でしかあり得ない。要するに、これが真実である」(:同)とし, 「「わたし」が「当事者」であり得るのは、究極的には「わたしであること」の他にはないのだ」(:186-187)とする.
自分自身がなによりも真実であるという至極真っ当な事実をわたしたちは何度も(でも)思い出してみなくてはならないとする, 実直な文章だ.

本書は最後, 稲川方人の「詩と、人間の同意」についての文章で締めくくられる (第七章).
稲川という詩人は知らなかったのだが, これはなんとしても読んでみたい, と思った.
それほど, それを紹介する佐々木の言葉が刺さってくるのだった.

そして最後, あとがきで佐々木はこう述べる.

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私にとって「コミットメント」とは、あの「何が出来るのか?」という問いを自ら引き受けて、或る責任の意識と共に答えようとすること、単にそのようなことを意味しているのではない。そうではなくて、私たちは誰もが皆、それぞれの位置と座標において、望むと望まざるとにかかわらず、すでに「コミット」している/させられているのであって、まずはその事実に気づくこと、それを意識すること、そしてそれから、自らと出来事の間に横たわる「距離」を、出来る限り精確に測ろうとすること、そうしてやっと、何ごとかが始まるのではないかと思う。或いは、とうに始まっていたということが、やっとわかるのだ。(:284

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淡々としながらも, やはり文章に感情が溢れている.
印象的な文章だ.

私たちとは誰なのか?
何が出来るのか? と問うのは誰なのか?
「思考=試行」(:283)は続く

4/05/2014

Goro Ito POSTLUDIUM release tour


Goro Ito POSTLUDIUM release tour in yamagata
2014.04.05. 7pm start / 山寺風雅の国・馳走舎

会場となったのは高い天井と大きなガラス窓が解放感いっぱいのレストラン.
ガラス張りの会場から見える外は少しライトアップされて, 雰囲気たっぷりだった.

はじめは「The Isle, Luminescence, Daisy Chain」と新譜「POSTLUDIUM」から.
山寺は2年前の徳澤青弦とのライヴ以来だというが, (チェロやフルート, うたなど)対solo楽器ではないピアノ(澤渡英一)との今回のデュオは色々できて面白い, という伊藤ゴローさん.
続く「Valsa de Euridice(ユーリディスのワルツ / 詩人でもあるヴィニシウスの作), Fotografia」(アントニオ・カルロス・ジョビン)のボサノヴァのカヴァーも, 伴奏とメロディを軽やかに交代しながら, 心地よい音楽を奏でた.

休憩を挟んで後半は, 「美貌の青空」(坂本龍一)のカヴァーから.
その後は「Obsession」(「GLASHAUS」), Plate 19」(「POSTLUDIUM」), GLASHAUS」(「GLASHAUS」), Wings」(「GLASHAUS」)と続いた.
Plate 19」はレコーディングでもピアノと2人だったということもあり, 息がぴったりだった (後半, tempoが上がって音楽が動き出してからがcool!).
ジャキス・モレレンバウムとレコーディングしたという「Wings」も哀愁たっぷりでとてもよかった.
ライヴの最後は「GLASHAUS」から「November.
切ないワルツが春の夜にぴったりだった.

ピアノと, そしてギターとも対話しているかのようなゴローさんの音楽.
朴訥と, でも柔らかく紡ぎ出されるダイアローグ.
トークからも伝わってくる, 優しい彼の人柄がそのまま表れたような心地よさがあった.

アンコールは「Estrada Branca」(ジョビン), perspective」(坂本龍一 / 「せっかく楽譜をもらったんで, もう一曲教授の曲を…」と), そして新譜から「Thyra」の3.
終演は2110, 雪が散らついた寒い春の日に, とても心地よい時間だった