4/19/2014

佐々木敦 シチュエーションズ


佐々木敦 (2013). シチュエーションズ:「以後をめぐって」. 文芸春秋.

key words:以前, 以降, 距離

月並みな言い方しか出来ずにもどかしいが, 佐々木敦はアーティストなのだと思う.
文と文のあいだに, 感情が溢れている.
彼の批評にドキっとし, 息苦しくなるのはそのためだ.

本書は, 「文學界」の20125月号から20138月号まで全15回連載された同名の論考を纏めたものである(:280)という.
単行本としてまとめられる際に文章は7つの章にまとめられ, それぞれ「第一章 失語に抗って」,「第二章 フィクションの臨界点」,「第三章 当事者とは誰か?」,「第四章 被災地で、海外で、」,「第五章 「以降」の小説」,「第六章 「言葉」たち」,「第七章 何ができるのか?」とタイトルが付けられている.

印象的だったのは第三章だ.
せんだいメディアテークで行われた「シネマてつがくカフェ『震災と映画』」で行われた議論をきっかけに, 文章ははじまる.
震災を機に撮られた映画についての参加者のコメントに触れたのち, 論は映画監督らの発言に及んでいく.
佐々木は, 震災を撮った映画監督ら(冨永昌敬, 舩橋淳, 園子温)の幾つもの「当事者性」に触れ (184), 「「究極の当事者」が「死者」であるのだとしたら、もう一方で、この出来事とは完全に無関係な他人、すなわち「究極の非当事者」もまた、この世界にはひとりとして存在していない」(:185)とする. 
そして, 「われわれは皆、程度は違えど幾らかは「当事者」であり、と同時に、常に中途半端な「当事者」でしかあり得ない。要するに、これが真実である」(:同)とし, 「「わたし」が「当事者」であり得るのは、究極的には「わたしであること」の他にはないのだ」(:186-187)とする.
自分自身がなによりも真実であるという至極真っ当な事実をわたしたちは何度も(でも)思い出してみなくてはならないとする, 実直な文章だ.

本書は最後, 稲川方人の「詩と、人間の同意」についての文章で締めくくられる (第七章).
稲川という詩人は知らなかったのだが, これはなんとしても読んでみたい, と思った.
それほど, それを紹介する佐々木の言葉が刺さってくるのだった.

そして最後, あとがきで佐々木はこう述べる.

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私にとって「コミットメント」とは、あの「何が出来るのか?」という問いを自ら引き受けて、或る責任の意識と共に答えようとすること、単にそのようなことを意味しているのではない。そうではなくて、私たちは誰もが皆、それぞれの位置と座標において、望むと望まざるとにかかわらず、すでに「コミット」している/させられているのであって、まずはその事実に気づくこと、それを意識すること、そしてそれから、自らと出来事の間に横たわる「距離」を、出来る限り精確に測ろうとすること、そうしてやっと、何ごとかが始まるのではないかと思う。或いは、とうに始まっていたということが、やっとわかるのだ。(:284

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淡々としながらも, やはり文章に感情が溢れている.
印象的な文章だ.

私たちとは誰なのか?
何が出来るのか? と問うのは誰なのか?
「思考=試行」(:283)は続く