4/27/2013

芸術批評誌リア 29


馬場駿吉ほか編 (2013). 芸術批評誌リア, 29. リア制作室.

key words:ジョンケージ生誕100, 美術と音楽のあいだ

REAR(リア)29号の特集は「音をめぐる論考」であった.
この特集では, 「音をめぐる創作と企画において, その可能性と課題を照射する」(:1)ため, 以下の4つの論文が掲げられた.

------

舞台の上の音楽を視る(橋本知久)

橋本は, 「単に演劇やダンスに「従属する音楽」ではなくて, ユニークな活動を行っている音楽家をともに作品を作っていくパートナーとして位置づけ, 彼らの専門性を生かした, 総合的な共同創作を目指す企画が増えてきているように思われる」(:2)ことから論をはじめ, サウンドアートや単なる舞台音楽とは違ったパフォーマンスを目指そうとするものも見られる(:同)として, ニブロールや柴幸男, 三浦康嗣, 白神ももこらによる作品を紹介する.
そして, 「ジャンルにとらわれることなく対話をしたいし, 対話の結果生まれる表現に出会いたい. 個性的な音のあるところ, そこに「生きる智慧」がある」(:6)とした.

------

ケージの今日性:日本でのジョン・ケージ生誕100年企画を見渡して(藤井明子)

ケージの生誕100, 没後20年にあたった2012年に開催された催しをその企画性に着目していくつか取り上げ, その特徴からケージの今日性について試論を述べた(:7)藤井は, この年に開催された数多くのケージ作品の演奏を紹介することから始める.
そして, 音楽だけにはもはや留まらないその拡がりを踏まえて, 「音楽の枠そのものを問」うたケージの思想は, 「今日、現代芸術の通奏低音のように引き継がれている」(:10)とした.

------

「声」は何を呼び起こすか:山川冬樹論(藪前知子)

この稿では, アーティスト・山川冬樹(1973-)の活動に着目しながら, 「音」や「声」を素材にした美術表現について考察された.
「声」のパフォーマーとして知られてきた(:11)山川の活動をエスノグラフィックに記述したものであるが, 「声」という現前するものが憑代となり「不在」をよみがえらせるような彼の作品から, 生きた行為として表象を表現の側に取り戻す「声」の重要性を指摘した (12).

------

美術(展示)と音楽(公演)のあいだ(後々田寿徳)

ギャラリーオーナーである後々田は, 過去に音楽家たちのライヴを自身のギャラリーで開催してきた経験から, 美術と音楽のあいだについて考察する (16).
美術家が認識する「インスタレーション」と, 音楽家が唱える「ライヴ」との違いに触れ (たとえばジェームズ・タレル(反復体験可能な展示と認識)の「光の館」と梅田哲也(一回性の演奏行為であるライヴと認識)の「小さなことが大きくみえる」), 音楽家らがもっている, 疑似体験への無抵抗さ(アーカイヴ(記録された作品)による美術経験(つまりは複製による経験)を前提としている美術側のスタンス)への疑問(:17)を指摘する.
そして, 音楽家がつねに観客を意識しているのに対し, 美術家はいったい誰に向かって作品を発表しているのだろうか, と問うことで, 音楽家と美術作家のあいだにある非対称な関係を指摘した (18).

------

以上である.

論考が集められただけのオムニバスであり, 特集としての意図があまり明確ではなかったが, 後々田の指摘が面白かった.
音楽家(ここで挙げられるのは梅田哲也やSachiko M)らにとってのアーカイヴはオリジナルのコピーではなく, その点で, アーカイヴ化を前提として発表される近年増えたいわゆるプロジェクト型アートとは似て非なるものだ (17).
一回性と複製…, そんなところにもケージを巡る議論はヒントを与えそうだと思いながら, 興味深く読んだ.

REAR〈no.29〉―芸術・批評・ドキュメント

4/20/2013

仙フィル 第273回定期演奏会


仙台フィルハーモニー管弦楽団 273回定期演奏会
2013.04.20 / 仙台市青年文化センター・コンサートホール

ヴェルディの生誕200年目にあたる今年, 仙フィルの定期でもヴェルディ・プログラムが組まれた.
指揮を執ったのは三ツ橋敬子.
小柄な指揮者であったが, とてもアツい棒を見せた.

1曲目, 「運命の力」序曲では, 金管tuttiの大砲と, 木管・弦アンサンブルの哀愁をうまく対比させ, 奥行のある広い空間を生み出した.
一方で中間部の金管コラールはやわらかく包み込むような音を編み出し, もはや序曲ではない壮大な音楽を聴かせてくれた.
チンバッソのバリバリと割れる音もヴェルディっぽさを演出した.

2曲目「オテロ」(「ヤーゴの心情の歌」)ではバリトン(青山貴)が深い響きでbravo
オケとバリトンが化学反応を見せて, ゴージャスな音楽となった.

3曲目「リゴレット」(「あれかこれか」, 「悪魔め, 鬼め」, 「女心の歌」)では怒りと哀しみが次々と交錯して客席を惹きつける.
ここでもやはりバリトン(リゴレット)がbravoだった.
リゴレットとマントヴァの対比や, それぞれに寄り添うオケの多彩さが面白かった.

4曲目「トラヴィアータ」(「第1幕への前奏曲」, 「思い出の日から」, 「ああ, そはかの人か~花から花へ~」)では前奏曲が白眉.
旋律は流れながらどんどん広がりを増して押し寄せた.
弦楽器が殊更美しかった.
「ああ, そはかの人か」のヴィオレッタ(ソプラノ:並河寿美)のコロラトゥーラもなんとも華やか.
まさにヴェルディ, イタリアオペラという雰囲気で満載だった (ステレオタイプかもしれないが…).

休憩を挟んで後半は「アイーダ」(「シンフォニア」, 「清きアイーダ」, 「凱旋行進曲」)から.
最初に奏でられたのは通常の前奏曲ではなく, それよりも拡大されている「シンフォニア」である.
表情を次々と変えて音楽は進んで行った.
「清きアイーダ」ではテノール(小原啓桜)がbravo
ラダメスの純愛をたっぷりと歌い上げた.
続く「凱旋行進曲」は, いつ聴いてもやっぱり楽しい.
上下にバンダとして2本ずつ配置されたアイーダ・トランペットが高らかに鳴り響き, エンディングに向かって疾走していった感じが見事であった.

後半2曲目は「アッティラ」の「前奏曲」.
今回のプログラムで唯一, ヴェルディ初期の作品である.
弦楽器が, 短調の陰鬱な調べをしっとりと重く歌い上げた.

ラストは「トロヴァトーレ」より「第1幕フィナーレ」.
ハープを引き連れて登場した吟遊詩人(テノール)と, それに嫉妬する伯爵(バリトン)との対比が見事.
ソプラノが加わって歌われた3重唱はラストに向かって絡まり, 激昂し, 圧巻の終わりを見せた.
オケのスピード感も爽快だった.

アンコールは「乾杯のうた」.
交互に歌うテノールとバリトンが愉快だった.
ずっと続いたカーテンコールに, あぁやっぱり音楽はいいなぁ, と素直にそう思ってしまった, 心地よいラストだった.

4/17/2013

川上一道 コンサート


川上一道コンサート
2013.04.17 / シベールアリーナ(山形県上山市)

山形交響楽団主席クラリネット奏者・川上一道のコンサートは, メサジェの「コンクール用独奏曲」からスタート.
ピアノ(弱奏)のフレーズが耳元で優しく響いて心地よい.
カデンツァのダイナミクスレンジも広く, フォルテでは(フォルテでありながら)太くやわらかい音が鳴り響く.
2曲目のショーソン「アンダンテとアレグロ」は後半の超絶技巧がcool.
自由自在に楽器を操る.
3曲目のハルトマン「セレナーデ 作品24」ではピアノ(高良仁美)とチェロ(松葉春樹)が編成に加わる.
クラリネットはときにイニシアチブをとる音, ときに滲む音を様々に奏で, どんな編成でも心地よくうたった.

休憩を挟んで後半はウェーバーの「協奏二重奏曲 作品48」から.
1楽章は音が遊んでいるようで楽しげ.
たっぷりしっとり歌われた第2楽章との対比が素晴らしかった.
続く第3楽章では, 生き生きとした瑞々しく幸せな音が奏でられて, 1つの楽曲で3つの全く違うキャラクターが描かれた.
音そのものに表情があるので安心して聴ける.
その後, ベールマンの「アダージョ 作品23 (囁くような綺麗な曲), ブラームスの「クラリネット三重奏曲 イ短調 作品114」(23楽章のすっとした終わり方と4楽章の迫力が心地よかった)が演奏された.
弱奏の安定感, そして方向性のある音の推進力が客席にしっかり伝わってきて, それがとても心地よかった.
楽曲によって次々と生み出された豊かな音色も流石であった.

アンコールで演奏されたのは, 演奏者の出身地である沖縄のうた.
ずっと遠くまで広がる美しい曲と, どことなくファニーな, 対照的な2.
最後までじっくりと聴かせる演奏会であった.