2/04/2012

東谷護 拡散する音楽文化をどうとらえるか①


東谷護編著 (2008). 拡散する音楽文化をどうとらえるか. 勁草書房.

key words:ポピュラー音楽, 音楽文化

本書は, 「主に二〇世紀以降、すなわち複製技術の発展によって大量配給が可能であり商品化された音楽」であるポピュラー音楽と, それをめぐり拡散する音楽文化の諸相について, 「メディエーション(つながり)」に着目して読み解き, それらが社会とどのように「つながっている」のかを考究した論考集である (以上, 「はじめに」(東谷)より).
内容は第Ⅰ部と第Ⅱ部に分かれており, 以下に挙げるのはその第Ⅰ部「ポピュラー音楽の〈いま〉をどうとらえるか」に含まれている4つの論文である.

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1章 「音楽のデジタル化」がもたらすもの(増田聡)

「音楽のデジタル化」という問題系を, たとえば「テープデッキのボタンを押すことと『演奏』とが区別できなくなる」というような美学的な問題として考えるべきだ(:6-7)とする増田は, ジャック・アタリにふれ, 「デジタル音楽テクノロジーの普及がもたらす音楽文化の変容は、反復(複製)の中から「作曲」とでも呼ぶべき新たな音楽行為のモードを生み出す方向に向かうだろう、とする彼の預言は、近年の「音楽のデジタル化」の過程の中で徐々に現実化しつつある」(:19)という.
そして, 「録音メディア空間の中で行われる音楽制作と消費が爛熟するとき、すなわち「反復のレゾー」が極大化したあとには、制作と消費との区別が無意味になるような音楽行為が浮上してくる」(:20)とし, 「演奏」と「再生」の違いは何か, と問う.

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2章 ポピュラー音楽とネットワーク(木本玲一)

木本は, ネットワークを「個々人が社会生活の中で構築・維持・拡張する重要な資本であり、それを活用することで個人の資質を超えた力が生み出される、社会的な関係性の総称」(:28)と定義する.
そしてネットワークの類型化をし, その多様性を示す.
さらに「ネットワークの多様なありかたを想定」すれば, 「対象が音楽からはみ出していくことは、むしろ必然である」(:45)とし, 「音楽について考える」のではなく, 「音楽を通して考える」という視点(:46)の有用性を説く.

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3章 現代社会における音楽産業と消費者としての聴衆:アドルノを手がかりに(阿部勘一)

自分の好みの音楽を「ジャンル」として安易に選択する(:64)現代の聴衆は (論中ではニーガスが引かれ, その「ジャンル」自体も商業的な装置に巻き込まれている (67), とされる), 音楽産業の掌の上で転がり続けているだけだとする阿部は, 音楽産業を批判的に論じたアドルノの憂い(商品となった音楽を分配するためのメディアを資本家が独占的に所有することによって, 聴衆が自らの意思で音楽に自由に触れる機会を著しく奪われ, 音楽の持つ価値を享受することから疎外されるかもしれない(:50)といった不安)を今一度見直そうとする.

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4章 正当な音楽・非正当な音楽:文化政策の公的承認機能(宮本直美)

宮本は, 公的な音楽助成がクラシックに傾いておりポピュラー音楽はその対象として見当たらない(:81)ことから, 「ポピュラー音楽が文化政策の中で置かれている位置と、そこにどのような問題が潜んでいる」(:82)のか検討する.
そして, 「両者は「音楽」という一つの領域名で括られたうえで分けられている。そして一方は公的に支援され、他方は公的に支援されない/されにくい領域としてほぼ固定化されているのである」(:98)と, そこに潜む問題を指摘する (ただし宮本は, 支援が必ずしも創造活動を活性化させるわけではないと指摘し (100), ポピュラー音楽にも公的支援を, と声高になるわけではない).

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ページ数は多くはないが, ボリュームたっぷりの内容である.
後半に続く
 
拡散する音楽文化をどうとらえるか (双書音楽文化の現在)