映画「マーガレット・サッチャー 鉄の女の涙」
フィリダ・ロイド監督
映画は年老いたマーガレット・サッチャーが牛乳を買いに行くシーンからはじまる.
見るからに老齢の女性は家に帰ってきて, 「牛乳が高くなった」と夫・デニスと話し始める. でも…, 夫はもうこの世にはいないのだ.
サッチャーが話をしているのは幻の夫である.
そうして, 映画は現実と幻想を交え, その境界線を滲ませていく.
年老いたサッチャーが過去を回想する形で物語は進んでいくが, ふたつ, とても印象的なシーンがあった.
ひとつは, 1984年のIRAのビル爆破を思い出してサッチャーがこう言うシーンである.
「あの頃は何をするかが重要だった. でも, 今は力を得ることが重要になっている」と. その言葉には, 何年も先を見据え, たくさんのことを犠牲にしながらも自らの信念に従って行動してきたサッチャーの想いをみてとれる.
まだまだ女性への差別や階級社会の名残があったであろうその時代に, 「一生皿洗いをして過ごすのは嫌だ」と食料品店の娘から一国の首相へと進んでいった彼女だからこそ出て来る言葉だ.
もうひとつは, フォークランド紛争の際の米国務大臣との交渉シーン.
「戦争の経験もないのに」と揶揄されたサッチャーは, きっぱりと断言する. 「わたしには戦わなかった日は一日もなかった」と.
11年もの間 政権に居続けたサッチャーのカリスマが垣間見えるシーンである.
凛とした姿が恰好よかった.
映画の終盤, サッチャーは泣きながらも夫の幻影と決別する.
そしてラストシーンは, ティーカップを洗うサッチャーを映し出す. かつて「皿洗いは嫌だ」と言っていたサッチャーのその姿に, 平均律の1番と序曲1812年が重なりエンドロールを迎えるのだった.
そう, 終わりに奏でられるのは前奏曲と序曲, である.
それは, 夫との決別を果たし とてつもなく寂しくも, それでも前へ進んでいこうとするサッチャー自身へのプレリュードのように響くのだった.
さて, 「ミュージック・オブ・ハート」, 「プラダを着た悪魔」と, 大好きな作品がたくさんあるメリル・ストリープ.
今回の演技も素晴らしく, 一人の女性の強さと弱さ, 成功と後悔をありありと表現してくれた. 特に, 年老いたサッチャーの演技は同じ役者が演じているとは思えないほど, 全く違う雰囲気を纏っていた.
その姿を通して, 役者という仕事にかける心意気をも改めて見せてくれたような気がする.