小田嶋隆 (2011). 地雷を踏む勇気:人生のとるにたらない警句.
技術評論社.
key word:愛国心その他
本書は, ウェブマガジン「日経ビジネスオンライン」上で連載中のコラム「ア・ピース・オブ・警句」のために書かれた原稿をまとめたもの(:1)で, タイトルは「コラムニストにとって、時事ネタは時に地雷になる」(:2)ということから付けられたものだという
筆者はそのタイトルをちょっとカッコつけて名付けたというものの, 「誰かが地雷を踏みにいかないと、議論が死ぬ」(:78)ともいい, さまざまな話題について持論を展開する.
震災後に書かれたものが多いため, 震災や原子力発電所をめぐる話題が多いが, 印象的だったのは「君が代」問題について語られたセクションだった.
いわゆる「君が代不起立訴訟」について最高裁が原告側の上告を棄却する判決を下したことにふれ, 小田嶋は論をはじめる.
「入学・卒業式での国旗掲揚と国歌斉唱が学習指導要領で義務づけられている以上、それに従わない教員が処分されるのは、仕方のない展開だ」(:79-80)としながらも, 小田嶋は「「愛国心」や「儀礼」といった「心」の問題について、法的な強制力を持って処することが果たして適切なやり方であるのかどうかについては、依然として大きな疑問が残っている」(:80)という. さらに橋本大阪府知事(当時)の「大阪維新の会」の国歌斉唱時の起立を義務づける条例案に触れ, 「橋本さんの真意が、愛国心の涵養にあるのだとすると、おそらく強制は逆効果になる」(:同)とする.
同感である.
「起立する行為」が, イコール「愛国心をもつこと」に繋がるはずがない.
教育社会学者である広田照幸は, 形だけの愛国心が,「「国民国家」が自明の完結した単位」とはなり得ない現代において(広田照幸
(2005). 《愛国心》のゆくえ:教育基本法改正という問題. 世織書房:198-199)「「今後の日本」像を「柔軟な方針の切りかえができない狭さ」に閉じ込める役割を果たしてしまいかねない」(同書:197)と指摘する.
そもそも, 愛国心の涵養など, 数年の就学期間で結果が測れるものではない(そもそも何かの数値で結果を測定できるものではない)のである.
橋本府知事から橋本市長となってからも, (たとえば大阪市音楽団の経費削減など) 外見や数字だけで突っ走っている部分が多い気がしてとても心配だ.
芸術や教育の体験についても効率化が求められ, どんどん仕分けにかけられていく. 芸術は日常において優先順位が低いものかもしれない.
でも, 数字だけでは測れないものがアートにはあるし, むしろ数字にはならないその力を積極的に使っていくべきだろう.
話が逸れてしまったが, 大阪に数々ある文化をまるで企業のように採算性だけで斬り捨てて変えたように見せていくことは, とても危険なことだと思う.
愛国心も然り, 目に見える形だけを変えても, それでOKということは決してない.
地雷を踏む勇気 ~人生のとるにたらない警句 (生きる技術!叢書)
「愛国心」のゆくえ―教育基本法改正という問題