金原ひとみ (2009). TRIP TRAP. 角川書店.
key word:旅の作り方
また, 沢木耕太郎は「旅とは何か」という問いに, それは「途上にあること」だ, といった.
さらに, 旅は終わりがあるもので, それは旅をする人が「作る」ものだ, といったのだった (沢木耕太郎 (2008). 旅する力. 新潮社., スイッチ・パブリッシング (2005). coyote, no.8. ).
旅する人 自身によって作られる, その人だけのもの.
それが旅ならば, 人生が旅に例えられるのも納得のいくことである.
そのとおり,「TRIP TRAP」では主人公(マユ)の人生という旅が描かれる (と書いてしまうとちょっと恥ずかしいが).
実際に主人公は, 沼津, パリ, ハワイ, イタリア, 江ノ島, と, 様々なところへ出かけるのだが, それは旅というよりはただの物理的な移動, という感じである. その移動とは別の次元で, そこには常にどこかしら「途上感」が漂っている.
本作にはこれまでの作品のような, 読んでいてその視覚からの情報が共感覚としてこちらの体にまで影響を与えるような, 作家独特の身体描写はほとんど出てこない.
作品を支配するのはなんだか気怠い, 停滞感だ. それが作家の狙いなのだろうか, それだけが印象的だ, といえるほど, スリリングさを欠いた気怠さ, 不安感(それは途上感に通じるもの)が心に残る.
とにかく一人で何かしなければならない状況が嫌いで, いつも彼と二人で共同責任でなければ嫌だった(:124)「私」が, ときに「あの頃に戻りたくて涙が出そうに」なりながらも (:205), 「とうとう何かをできる人間になりたいと思うように」(:210)なっていく過程を, 作家は私小説風に描く.
子どもを保育園に預けてやってきた江ノ島での, ナンパされた男とのやり取りが印象に残る.
「私はもう帰る。間に合わないや」という主人公に, 男は「何に?」といい, こう続ける.
「間に合わないものなんてある?」
「何それ。そういうの、止めてよ」
「ていうか、間に合わなきゃいけないものなんてあるの?」
そこで主人公は思う.
「私はただ、間に会いたいだけだ。」と (:253).
それまで社会とのつながりを避け, 責任を避けてきた主人公が, 母親になって遂に, 自らそれに所属し責任を果たしたいと思う.
でも, その変化を母になったことのみに起因させるのでは, あまりにつまらない.
その後ろ側にある気怠さと奇妙な安堵感のようなものが, 途上であるということ, 旅のうえにあるということなのだろう.
それはどこか, 無いもの強請りで, だからこそ人間っぽくもある姿だと思う. その後ろ側にある気怠さと奇妙な安堵感のようなものが, 途上であるということ, 旅のうえにあるということなのだろう.
彼女は旅の途上にある.
そこには多くのTRAPが仕掛けられている.
その罠をくぐり抜けてきた彼女は、以前の彼女とは違う彼女となっている.
そして, それ(旅の前と後とではまったく違う光景が見える)もまた, 旅の特徴である.
最後に, 旅に関連してもうひとつ.
「ガンジス河でバタフライ」(幻冬舎, 2000)で たかのてるこはいう.
毎日のかけがえのなさを知っているひとはみな, 旅人だ, と (:「おわりに」).
そうするとやはり, 主人公であるマユは旅人であり, 旅の途中にいる.
TRIP TRAP トリップ・トラップ
旅する力―深夜特急ノート
coyote(コヨーテ)No.8 特集・沢木耕太郎「深夜特急ノート」旅がはじまる時
ガンジス河でバタフライ