3/17/2012

坂倉杏介 音楽するコミュニティと「現れの空間」


坂倉杏介 (2009). 音楽するコミュニティと「現れの空間」:あるエイブルアートの試み「うたの住む家」を事例に. アートミーツケア, 147-60.

key words:アートミーツケア, コミュニティ・ミュージック

せつない
いとしい
おいしいさんま おいしいさんま

地域のコモンハウスを舞台に行われたワークショップ「うたの住む家」で, 参加者の会話からつくられたという「うた」の一節だ (48).
なんとも魅力的なこのうたには, 「さんまが旬だ」というタイトルが付けられている.
あぁ, このワークショップ参加してみたかったなぁ…, と率直に思ってしまった.

アートミーツケア学会の学会誌に掲載されたこの論文は, 「うたの住む家」での実践を通して「障害を持つ者と持たない者がさまざまな「違い」を乗り越えながらともにアートする活動が, 私たちの社会にどのような形で影響を与え得るかを検討」(47)したものである.

本論中で紹介される「うた」は, どれもとても魅力的だ.
しかし, そこで注目されるのは「うた」の作品としての完成度ではない.
そこでは「ともにアートする実践」(50) そのものが重要だと考えられる.
音楽の効果や有用性, 美的価値判断ではなくともにアートする実践そのものを重視する考えは, まさにアートミーツケア学会が目指すところ
だ. 
そしてコミュニティ・ミュージック(坂倉が参照するのはコミュニティ音楽療法)の考えを踏まえ, 「人々が協働する環境そのものを音楽」と捉え (52), それを「音楽=コミュニティ」と表現する.
さらに, 坂倉はアーレントの公共性概念を援用し (なぜ突然アレント, と少し違和感を覚えるが), 「うたの住む家」での「音楽=コミュニティ」を公的領域に繋がるための「わたしの「現れ」の空間」としたうえで, それは「閉ざされた他者たちの「ともにある」状況をひらく可能性を持っている」(59)とする.
(「コミュニティ・ミュージック」については, たとえば若尾裕 (2006). 音楽療法を考える:164-167. などを参照)

音楽が人と人とを繋ぐメディアとして立ち現れ広がっていく様子は, 実感をもって共感できる.
わたしたちの身のまわりには, 障害の有無にかかわらず異文化/多文化的な状況が数多くある.
文化的背景の異なる者同士を繋ぐコミュニティ・ミュージックの例や (たとえば1999年から10年間続けられた野村誠の高齢者との共同作曲の活動など), ワークショップによってうたを共同製作し発表する試み(たとえば世界中で繰り広げられている不平の合唱団の音楽など)はこれまでにも多くあるが, そのような状況で人が繋がり, 音が生まれる瞬間に立ち会えるということは, なんとも素敵なことではないか (それはエイブル・アートのムーブメントに限ったことではない).
音楽の引力や触媒としての力を認め, 敢えてそれらを "活用" しようとする視点は, 今後ますます増えていくのかもしれない.
それと同時に, "音楽" とは何なのか, , 音そのものに向き合うことも忘れずに考えていくことが大切であろう.

アートミーツケア〈Vol.1/2008〉特集=臨床するアート
音楽療法を考える