異界をひらく:百鬼夜行と現代アート
2016.07.16 - 09.04 / 秋田県立美術館
第1会場, 山本太郎「白線散華図」の白線にいざなわれた先に現れるのは, 鴻池朋子(秋田出身)の「Dark Crow」.
襖いっぱいに描かれるのは目力満点の半獣だ.
最初からインパクトたっぷりに展示は始まった.
山本太郎の「白梅点字ブロック図屏風」も面白い.
屛風絵なのだが, 銀地の背景に展示ブロックの上を法師が歩く図.
展示ブロックという現代的なモチーフが持ち込まれ, 空間が異化する様がなんとも不思議だった
(以上, 第Ⅰ章「異界への扉」).
第Ⅱ章「迫り来る異界の景色」は, 三瀬夏之介の14mを超える巨大作「空虚五度」からスタート.
細かな濃淡で3Dのように立体感がある作品だった.
巨大な白無垢に不釣り合いに不気味な刺繍が施された鴻池朋子による「白無垢」も印象的な作品だった.
第Ⅲ章「現実と異界の狭間で」においても, 異界との境界がさまざまに描かれる.
真島直子「JIGOKURAKU」はとかくグロテスクな作品.
繊維にまみれた無数の巨大な鯉たちが床に置かれ, 天井から吊るされ, 泳ぎ回る.
それとは裏腹に, 画面いっぱい病的に(草間彌生作品を思わせる)書き込まれた鉛筆画が背面に掲げられるのだった.
「通りものの路」をはじめとする岡本瑛里の作品では, 不思議な生物が連なり渦巻く様が描かれる.
そして藤浩志「i-doll arrangement」では多数の人形が葬られる.
それを取り巻くのは, 可愛らしいその目とは裏腹に獲物を狙うハイエナのような動物たち(かつて
えずこホール「十年温泉」で展示されていたものか)なのだった.
第2会場のはじめ, 第Ⅳ章「異界を旅する子どもたち」では, 石田徹也作品が展示される.
巨大な蜘蛛に襲われている二人の男を描く「不安な夢」, ミシンが左腕と化してもなおマークシートを埋め続ける同じ表情の男たちを描く「無題」, 小学校の校舎から飛び出した頭をもつ大きな男を描く「囚人」, リフト式のトラックの荷台から無理矢理起こされる少年を描く「起床」, 車のサイドミラーに映り込む無表情な少女の半顔とそれを(?)のぞき込み魚の目が印象的な「深海魚」, 体一面に女(母?)の顔を浮かび上がらせながらも穏やかな表情を携える男を描く「転移」, 部屋の中に横たわる男の周囲や内部を電車のプラレールが走り廻る様子を描く「捜索」など, はじめて実際に観る作品の数々.
以前, NHKの日曜美術館で観たときとは全く違うインパクトがあり, 前に立つとガツンと来る作品の数々だった.
他にも, 藤田嗣治の「四十雀」のシリーズや, 不満げな表情でバットを持つ少女を描いた奈良美智の「サイレント・ヴァイオレンス」などの作品も展示されていた.
3階の第3会場は, 第Ⅴ章「異界を彩る妖怪たち」からスタート.
江戸後期の「百鬼夜行絵巻」(作者不詳)などと天野喜孝「百鬼夜行」に続いて展示されるのは金子富之の写真を加工した作品たち.
モノクロの作品がもつ雰囲気に, どこか違う世界へ吸い込まれそうになる.
最後の展示室, 第Ⅵ章「心の闇にひそむ異界」では金子富之による日本画が並ぶ.
先の写真作品とは全く違い, 直接的なインパクトのある作品たち.
「小雨」や「現代持衰」, 「千年狐狸精」はそれぞれ座敷童と狐狸(?)が画面に大きく描かれる背景に, 細かい字でびっしり不思議な文章が書かれる.
「首かじり」は生首を食らう化け物を描いた軸.
その隣に展示される「蚯蚓の怪」は, 体中から飛び出す無数のミミズと, それを食べる一匹のモグラを描く.
いずれの作品も, 絵の前に立ってじっと眺めていることが難しいほど恐ろしい作品.
その作品がこんなにも並ぶインパクトはかなり大きい.
第Ⅶ章「死という名の異界」では, 山口晃の2つの「九相圖」と松井冬子の作品7点が展示される.
山口晃の一つ目の「九相圖」(2015)で描かれるのは男女の不思議な物語.
これは想像だが, 余命宣告をされ自分自身のAIをつくった男と, 彼がつくった女のAIとの物語か….
「九相圖」(2003)は中世日本, 洛中洛外図のような雰囲気をもつ作品.
可愛がられ, そして朽ち果てていく半機械半馬の物語.
「馬とバイクという、生物と無生物とが合体した乗り物の生と死、そこから野に朽ち果てていく循環の物語」(作品解説より)なのだという.
過去と現在, そして未来が混ざり合った不思議な世界が提示される.
松井冬子は本日アーティストトーク(「美術の構築」)も開催され, 作家本人の話を聴くこともできた.
一見グロテスクな作品の数々について, 時間をかけて下図を丁寧に描く仕方など, その制作方法や過程についてスケッチなどを多数交えながら紹介されたが, 「(自分は)内臓は書くけれども血は書かない」(血が付くと途端に物語が出来てしまうから)といった裏話も聴くことができた.
今回の展示では彼女の「九相図」より3作品が展示されているが, 九相図について, 「女は死んでも綺麗だ」という信念から, 「平成の九相図」を描こうと取り組んだのだという.
「應声は体を去らない」は, 死に絶え, 内臓が飛び出した女のうえに白い花びらが散り積もる作品.
「転換を繋ぎ合わせる」は骸骨になった女のまわりに咲く花が描かれる.
綺麗に咲き誇る花と骸骨の中を這う蛇の生命力の美しいこと.
「四肢の統一」は背骨と骸骨だけになった人間を描く.
3つの作品とも, 松井の手にかかれば, 死は恐怖ではなく美へと転換される.
不思議な錯覚に囚われてしまう作品だった.
身体を鳥や犬に啄まれる女を描く「終極にある異体の散在」は, 以前横浜で観たときと違う印象を受け, 人間も自然の一部なのだという素直な感想をもてた.
そして, 最初に展示されていた「健全な自己治癒の方法」(消え入りそうな朧気な花)や「優しくされているという証拠をなるべく長時間にわたって要求する」(脳みそのような形の花), 最後に展示されていた「この疾患を治癒させるために破壊する」(水面にうつる巨大な夜桜)で描かれる, 静かだけれどもそこにあるたしかな生命力(とその痕跡)のようなものが心に残った.
それが, 彼女が描く美の正体なのかもしれない, とそんなことを思った.
(写真は昨夜お邪魔した酒田市「久村の酒場」. 揚げげそセット(揚げたあぶらげと
げそのセット)が大好物. ちなみに昨夜の酒田は甚句流しでした. 東北は夏祭りの季節です)