小林エリカ (2014). マダム・キュリーと朝食を. 集英社.
key words:〈マタタビの街〉, 「町人の食卓」(ムノン), 尻尾の短い妹
西加奈子「まにまに」で紹介されていたのを思い出して, 面白そうだと手に取った一冊.
何も知らずに数ページ読んだところで, 出版日を確かめる.
原発の事故後に書かれた本作には, 放射能が光として現れるのだ.
物語は, 夢のようだった〈マタタビの街〉での生活を想いながら東の都市で生きている猫(わたし)と, パパとふたりきりで同じく東の都市に暮らす小学五年生の少女・雛の話を交互に提示する.
猫であるわたしは, 〈マタタビの街〉でのまだ母がいたころの自由な生活に思いを馳せ, 雛は亡き母やその母の母に思いを馳せる.
猫であるわたしは, 放射性物質を光として見ることができ, 光る猫であるタマゴ(かつてキューリー夫人の近くにいてラジウムの放射能を浴びていたのだろう. だから彼(?)は光る)との出会い(:21-)を通じて, 光のなかに潜って過去や違う場所へと跳ぶことができるようになる.
一方, 雛の母や祖母(や曾祖母(:47)…)は「光の声」を聴くことができた.
彼女の母はその声の話を雛に聞かせるのだった
(:28).
この不思議な物語に, キューリー夫人やエジソンについての伝記的な記述, 象のトプシーや原子力実験の話, そして「録音メモ」と称される雛の母親がICレコーダーに残した不思議な(不気味な)記録
(:115), が織りこまれていく.
物語が, 時間や場面, 記憶が次々と入れ替わるのだが
(それはまるで猫がぴょんぴょんと飛び跳ねるように), その刹那, 儚さが, この小説自体をどこか神がかったような, 人智の及ばないものに変えている感じがした.
ラストはたくさんの出来事が走馬灯のように駆け巡り, 繋がる.
それはまさしく光のごとくスピード感に溢れるやり方で.
猫であるわたしがついに妹の姿を目にするシーン(:163)は涙を誘う.
そして小説の終わりは, 光の声を聞きたいと願う少女・雛の決意を描く.
新世界に生きる少女はこれから先, いったい何をどんなふうに聞いていくのか.
なにせ, 光に託し残された記憶や声(光の痕(:166))は, 半減期の半減期の半減期の…, 人間や猫の一生よりもずっとずっと先まで長く残るのだから.
すごい小説を書く人だ.
はじめて読んだ作家だったが, 純粋にそう思った.