6/07/2016

西川美和 永い言い訳


西川美和 (2015). 永い言い訳. 文芸春秋.

key words:命あるからこそという現実, 手紙

津村啓というペンネームを持つ作家・衣笠幸夫(さちお)は, 美容師として働く妻・夏子とうまくいっていなかった.
かつて, 売れない作家時代に彼を食べさせてきた夏子は, 幸夫を「完全に私の手中に」ある(:24)「可愛い小さな犬のようだ」(:25)と思っていたところがあった.
幸夫が売れっ子の作家となった今, 「私は私の生きている意味を、すっかり見失った」(:同)というのが, 夏子の正直な気持ちだったのだ.

そんな妻・夏子を, 幸夫は突然のバス事故で失うことになる.
その事故の会見場で幸夫は, 涙も流すことが出来ずどこか冷めている自分とは対照的に, 気性荒く暴れ, 感情を露わにする男と出会う.
その男が, (大宮) 陽一だった.
妻同士が高校の同級生だった二人は偶然に出会い, 言葉を交わすこととなる.
そこから, 幸夫, 陽一とその二人の子, 4人による奇妙な生活が始まることとなる.

物語は中盤, 大宮家の面々に触れて変わっていく幸夫と, 明るさを取り戻した大宮家の3人の束の間の平和を描く.
だが, その時間も永くは続かない.
大宮家と仲睦まじい時間を過ごしている姿を捉えたテレビドキュメンタリーを観た出版社編集者からの辛辣な言葉(「津村先生。貴方の今には人を引きつける葛藤がない。」(:226)とテレビの感想を書き, 葛藤を, 悲劇を書いてください, と綴る手紙)や, 大宮家と仲よくなる科学館のインストラクター・鏑木優子の存在などから, 大宮家と幸夫の生活は次第に崩れていく.
その様子はまさに坂道を転げ落ちていくかのようで, 現実感がたっぷりあって切なかった.

もとの明るさに戻ったと思っていた(思い込もうとしていた)生活が, 見せかけの仮面を剥がされ再び崩れてしまったことで, 思い詰めた陽一は出張先でデリヘル譲とトラブルを起こす.
山梨県警に逮捕された陽一を迎えに行く途中, 幸夫が真平(小学6年生になる陽一の息子)にこう言う場面がある.

-------

「大丈夫だ、真ちゃん。みんな、生きてりゃ色々思うもの。汚いことも、口に出来ないようなひどいことだって。だからって、思ったことがいちいち現実になったりするわけじゃない。ぼくらはね、そんなに自分の思う通りには世界を動かせないよ。だからもう自分を責めなくていい。だけど、自分を大事に思ってくれる人を、簡単に手放しちゃいけない。みくびったり、おとしめたりしちゃいけない。そうしないと、ぼくみたいになる。ぼくみたいに、愛していいひとが、誰も居ない人生になる。簡単に、離れるわけないと思ってても、離れる時は、一瞬だ。そうでしょう?」(:287

-------

それは取りも直さず, 自分自身へ言い聞かせている言葉なのだが, それまで幸夫が考えてきたことが詰め込まれた, 切実な言葉だった.
この言葉がとても印象的だった.

物語はラスト, 幸夫が亡き妻へ宛てた長い手紙を読ませる.
そこで西川美和は, 幸夫にこんな言葉を語らせるのだ.

-------

愛すべき日々に愛することを怠ったことの、代償は小さくはない。別の人を代わりにまた愛せばいいというわけでもない。色んな人との出会いや共生は、喪失を癒し、用事を増やし、新たな希望や、再生への力を与えてくれる。喪失の克服はしかし、多忙さや、笑いのうちには決して完遂されない。これからも俺の人生は、ずっと君への悔恨と背徳の念に支配され続けるだろう。こころのうちで謝ったって、それを赦してくれる君のことばは聞こえて来ない。そっちでたとえ君がどんなに俺をののしろうが同情しようが、あいにくそれも、俺には届かないよ。人間死んだら、それまでさ。俺たちはふたりとも、生きている時間というものを舐めてたね。(:304

-------

作家は, 人間の心理のようなものをじっと見つめて捉え, こちら側へ静かに, でも力強く差し出してくる.

たしかに, 妻がこの世からいなくなった今となっては, それは言い訳なのかもしれない.
でも, その手紙は, 妻との時間をこれからも生きていく幸夫の愛情たっぷりなラブレターだ.
失ってから気づいたこととはいえ, 惜しむべくはそれを彼女へ伝えられなかったことだ….
そう強く思わせる手紙だった.

西川美和は, 受け手(読み手)の心の襞を静かになぞるアーティストだ.
(映画「ゆれる」を観たときもそうだったが)読み終わって, ぼ~っとしている自分がいた.
間違いなく傑作だと思うのだが, この本の何がそう思わせるのか整理できず, 人に薦めるにもどこか自分の日記を見せるようで(全く違うはずなのに)なんだか躊躇われる…, そんな物語だった.

しばらくは漂ってみたい.

(米沢市にある小野川温泉, 今夜はゲンジボタルを5匹ほど見つけました. 今年は蛍も例年よりずっと早いようです)

6/04/2016

西加奈子 まく子


西加奈子 (2016). まく子. 福音館書店.

key words:子どもから大人へ, サーイセ

主人公である慧は, 大人や女性に向かって変身していく女子たちを前に, 自分は変わりたくない, 大人になりたくないと思う11歳の少年だ.
彼ら・彼女らの間にある「子供をやめかけた」変な空気(:16)に, 慧は「みんなが変わってゆくのが」怖い(:29)と思っているのだった.

そんなとき, 慧は美しくも不思議な少女・コズエと出会う.
母一人娘一人, 慧の旅館へ住み込みで働くために引っ越してきたコズエは, 「まく」ことが好きだった.
コズエは, 砂や水, 色々なものを撒いた.
そしてコズエと慧は, 毎日のように集落にある「石垣をほじくって、石粒を拾って投げ」るのだった (44).

ある日, コズエは慧に自分は「土星の近くにある星から宇宙船に乗ってやって来た」(:72)のだと告げる.
コズエはとにかく不思議な少女として描かれる.
そんなコズエは, 慧とは反対に, 大人になることを「私は楽しいな。」(:138)と言う.
自分の周りにいるあまり尊敬できない多くの大人たちを目の当たりにしている慧は, 自分が大人になって死んでいくことを怖いと思っている(:139)のだった.
慧は, そんな自分の姿を, せっかく作っても最後にはぐちゃぐちゃに崩されて燃やされてしまう集落の祭の神輿になぞる (140).
そして, 誰にも言えない胸の内を, コズエにだけは伝えるのだった.
小学生特有の想いや悩みを, 作家はまるで自分がいま小学生であるかのように生々しく描く.

物語はラスト, UFO(?)に乗って帰って行くコズエの姿を描く (231-).
これが, なんだかそんなに違和感なく(!)描かれるから不思議だ.
最後, コズエは慧らの頭上から光の粒をまく.
そして, その光に包まれながら, 慧は思うのだった.

-------

「小さな永遠を、終わらせないといけない。」
コズエの言うことが、ぼくにはわかった。今、分かった。
ぼくたちはいずれ死ななければいけない。絶対に、死ななければいけない。温泉も、石垣も、木々も、いずれ消える。それは恐ろしいことだけど、永遠に残るものよりは、きっと優しい。永遠に残るものはきっと、他のものに粒を与えられないものだ。他のものと、交われないものだ。
ぼくたちは、誰かと交わる勇気を持たないといけない。
ぼくたちは、ぼくたちの粒を誰かに与える勇気を持たないといけない。(後略)(:236

-------

生きることの不思議, 大人になることの不思議について, 誰もが一度は考えてみたであろうことを, いまは大人になったかつての子どもたちに, 作家はまざまざと再び見せてくれるのだった.

作家自身の手によって, 表紙や本文中に描かれるたくさんの装画・挿絵がとても可愛らしい.
暗闇で光る(!)表紙カバーも素敵な一冊.

10年ぶりくらいにお邪魔した天神乃湯. すっかり綺麗になっていて, びっくりしました)

5/29/2016

東響 第95回新潟定期


東京交響楽団 95回新潟定期演奏会
2016.05.29, 5 pm start / りゅーとぴあ 新潟市民芸術文化会館 コンサートホール

ウルバンスキの2度目となる新潟定期.
今回のプログラムはプロコフィエフとチャイコフスキー.
オール・ロシア・プログラムは今回も含めて, 今年度3回あるのだとか.

まずはプロコフィエフのピアノ協奏曲第3 ハ長調 作品26.
ピアノはアレクサンダー・ロマノフスキー.

第一楽章, 空中から音を編み出すようにクラのアンサンブルを始めたウルバンスキ.
すぐに音楽は躍動的なものに変わり, 歯切れのよいピアノが快走する.
以降, まるでスポーツのように技を競い合うピアノとオケの共演が見事.
どの仕掛けも分かりやすくこちら側へと聴こえて来て, 複雑な細密画を観ているかのような気分になる.
クライマックスを迎え, 音楽は右手を高らかと掲げた指揮者によって締めくくられた.
第二楽章は風変りな踊りのような変奏曲.
ここでもそれぞれのフレーズのキャラを別個に際立たせながら音楽は進んで行った.
唐突に第二楽章が終わったのち, 一呼吸おいてすぐに第三楽章がスタート.
再びピアノとオケの技比べがはじまる.
ロマノフスキーは難曲をこれまた快走し, 最後のハーモニーまでオケとともに明るく上りつめた.

アンコールに応えてピアニストが弾いてくれたのは, ショパンのノクターン嬰ハ短調・遺作.
湖のような, 憂いのある音で情感たっぷりに歌い上げた.

休憩ののち, 続いてはチャイコフスキーの交響曲第4 ヘ短調 作品36.
暗譜で振るウルバンスキ.
第一楽章ではファンファーレを恐ろしいまでに高らかと響かせたあと, まるで祈りのような深さを見せた.
指揮台で踊るウルバンスキが悲劇の中の登場人物に見えてくる.
やがて第二主題が長調で現れると, それは夢の中だけの儚い幸せのように聴こえて来るのだった (それほど第一主題の憂いが鮮烈だった).
終盤のファンファーレはさらに強烈.
それと消え入るような弱奏部の響きのコントラストが鮮明だった.
楽章ラスト, 不吉な力は深く深く刻み込まれ, 余韻たっぷりに締めくくられた.
第二楽章はObによって始められる哀歌.
やがてオケ全体でうたわれた厚みたっぷりの響きが美しかった.
なんともロマンチックな音楽, 終盤のFgbravo.
第三楽章, pizzの弦楽はかわいらしくスタート.
楽器間を渡って行く音のwaveが目に見えるような演奏.
それを引き継ぐ木管アンサンブルは素朴な響き.
金管もやさしく続き, 束の間の安息を見せた.
そして第四楽章は, 鮮烈なファンファーレで打ちあがる花火のようにスタート.
執拗に繰り返されながら徐々に上りつめて行く仕方がドラマチック.
ようやく全員によるtuttiになった音楽はなんともゴージャスで, 手に汗にぎるラストだった.

先の先のさらにその先まで, ずっと見通しているかのような演奏スタイル.
全て頭のなかで組み上げられているのだろうか.
ノイズを取り除いた解像度抜群の画を観ているような, そんな鮮明さ・すっきりさを, 前回に続き存分に楽しめた (空席が目立ったのだけが残念だった…).

(写真は朱鷺メッセ近くの「とんかつ政ちゃん」. 柔らかいカツに甘目のタレが美味しくて, パクパク食べてしまいました. 夜にいただいた鰯や黒メバルのお寿司も美味しかったです. もうそんな季節です)

5/25/2016

原田知世 恋愛写真2


原田知世 恋愛写真2:若葉のころ
2016.05.11 / UCCJ-9211

自身の少女時代をテーマにしたという, ラヴ・ソング・カヴァー・アルバムの第2.
荒井由美(「やさしさに包まれたなら」)もキャンディーズ(「年下の男の子」)も, そして小沢健二(「いちょう並木のセレナーデ」)までも, 彼女にかかればどこか切なさを纏いながらそこはかとなく優しく湧き上がる.
どの曲も心地よいが, 驚くのは「キャンディ」(原田真二)と「異邦人」(久保田早紀).
シンガー・原田知世の実力を存分に味わいながらも, 70年代にはこんなすごい曲たちが流れていたのか…, と改めて思うのだった.

(今日のコンポージアム (一柳慧「ベルリン連詩」ほか), 行きたかったなぁ…)

5/22/2016

南木佳士 ダイヤモンドダスト


南木佳士 (1989). ダイヤモンドダスト. 文芸春秋.

key wordsF4D型のファントム, 水車

-------

雪どけの水がいく筋もの細い濁流をつくって流れる日々が過ぎても、路は黒っぽくて湿って乾かない。頭上に五月の夕暮れどきの陽光を隠す広葉樹の群れを仰いで見るまでもなく、スニーカーの底を柔らかく受けとめる腐植土の感触は、そう遠くない昔、このあたりが深い森であったことを教えていた。(:138

-------

冒頭の描写の美しさに, 最初の数行を何度も読み返した.

南木佳士「ダイヤモンドダスト」(単行本には表題作を含めて4作が収められている)には, 土地バブルを経験し変わりゆく街に, それでも静かに, 誠実に生きる看護師・和夫と, その父・松吉, 幼い息子・正史 (妻・俊子はガンで亡くなっている), そして和夫の幼馴染み・悦子の, 短くもあたたかな生活を描く.
和夫の母は, 彼が小学4年生のときに亡くなった.
その病院で医師が幼い彼に言った言葉がある.

-------

「人間てのはなあ、いつかは死ぬんだぞ。そのいつかってのはなあ、こんなふうに、風が吹くみたいに、ふいにやって来るもんなんだな。普通のことなんだぞ。珍しいことでも、怖いことでも、なんでもねえんだぞ」(:174

-------

この言葉が, その後 静かに, 誠実に生きる彼の背景となる.

物語には, 変わりゆく街のなか, 人の死を, 自分の思いではどうにもならない多くのことを経験してきた和夫の地に足の着いた静かな暮らしが綴られている.
ゆっくり穏やかな暮らしだが, 決してその生活に平凡などという言葉は当てはまらない.

(写真はお昼にお邪魔した会津若松市「Cafe Baku Table(ギャラリー「ひと粒」内に併設されている素敵なカフェです) でいただいた季節のごはんプレート. 豆腐とひじきのハンバーグに, たくさんの種類のお野菜が美味しかったです. デザートにいただいた「めごめごさんの葉玉ねぎプリン」は, う~ん, タマネギの味(笑)!)

(↓amazonのリンクは文庫本です)

5/16/2016

絶望でもなく、希望でもなく


2016.04.02 - 06.27 / はじまりの美術館(猪苗代町)

最初の展示はワタノハスマイルによる作品の数々.
石巻の渡波小学校の校庭に流れ着いた町のカケラ(瓦礫)から思い思いのオブジェクトを製作した12人の小学生による作品.
材料のひとつひとつに目を向けると切なくなってしまうが, 出来上がった奇想天外な作品の群を目にすると, その自由な発想の数々に作っていたときに聞こえていたであろう子どもたちの声が甦る.

続いて, 近藤柚子「70億面体のワニの脳」.
渦巻いて, 滲んで, 触発しあって, そうして繋がっていく色とりどりの線と線.
それは画面をはみ出して, もっと先, 向こう側へと延びていく.
フレームが先にあってそこに画をはめ込んだのか, それとも拡がり続ける大きな絵が先でその一部を切り取ったのか…, それはたとえば, ずっと続く日常から一部を取り出して日記に認める作業と似ている気がする.

その隣には, 山中紅祐による作品が展示される.
ミニマルな作風が面白い.
モチーフになっているのは架空の都市名が記された時刻表や路線図, あるいは不思議なカレンダーなど.
紙に鉛筆やボールペンで書かれたキュートな作品の数々に思わずにんまりしてしまう.

奥の展示室では, 太田貴志による紙で作られたパトカーや救急車などの作品(車が好きなことがぐんと伝わってくる)や, 和合亮一の「雲をめぐる」と題された写真のスライドショーと詩の朗読, マルチチュードな状況への寛容さが清々しい(!)十中八九の作品 (立体・平面作品と, ライブ映像を取り混ぜたビデオ作品. シーラマン(半魚人)も, ブルボンじいちゃんのファンキーさも素敵), そして小松理虔×tttttanの作品(時間の経過とともに薄くなっていくFAX感熱紙の上に黒いペンで書かれたドローイング)が展示される.
どの作品を観るときも詩の朗読が絶えず耳に入ってきてしまいなかなか集中できないのが残念だったが(あるいは言葉が絶えず漂っている状況を狙っていたのだろうか)…, それぞれ気になる作品たちだった.

展示の最初に, 今回の企画展は「福島や東北で日常を表現する作業に焦点をあてた」ものであることが, 主催者のことばとして紹介される.
「日常」とよばれる日々の暮らしをじっくり見つめることは, 実はとても難しいと思う.
当たり前すぎて見落としてしまうことがたくさんあるし, あるいは記憶が邪魔をして真っ直ぐに見ることができなかったり, どこか気恥しさがあったり….
特別なことではなく, たとえば木々が風で揺れること, 一口飲んだ水がこんなにも美味しいということ, 大好きな人の笑顔に思わず笑顔で応える瞬間の愛しさ….
そんな日々の暮らしを素直にアートにできるのなら, そんなにも素晴らしいことはないと, そう思う.

(写真はお昼にお邪魔した, 喜多方「つきとおひさま」. 旬のおかず定食のお料理はどれも美味しい(特に, 車麩の入った肉ジャガと人参とオレンジのマリネが絶品)! やますけ農園のどんぶらたまご(たまごかけご飯用)とともに, ぺろっといただきました~お店ではヤンマのお洋服の受注会も開催中で会津木綿の手触りがなんとも心地よかったです

5/07/2016

宮下奈都 羊と鋼の森


宮下奈都 (2015). 羊と鋼の森. 文藝春秋.

key words:秋の夜の森の匂い, 音が肌に触れる感触, 調律師

高校生だった外村は, ある日 調律師である板鳥宗一郎が体育館のピアノを調律する場面に立ち会う.
その音を聴いたとき, 彼は「そこから生まれる音が肌に触れる感触」(:8)を初めて知り, そこに森の匂いを感じたのだった.

それまで「美しいものに気づかずにいた」(:19)少年は, そこから調律師を目指すことになる.
物語は, 晴れて調律師となった外村と, 先輩調律師である柳や秋野, 楽器店の北川, そして和音と由仁という双子のピアノを弾く姉妹をめぐって進んで行く.

双子の姉妹が弾くピアノに調律師の仕事の意義を感じながらも, 自分がどんな音を目指していけばいいのか分からなくなる外村に, 先輩調律師である板取が理想の音についてこう言う場面がある.
「明るく静かに澄んで懐かしい文体、少しは甘えているようでありながら、きびしく深いものを湛えている文体、夢のように美しいが現実のようにたしかな文体」(:57)と.
原民喜の言葉なのだが, 以来, この言葉が表すような音が彼の目指す音となる.

物語の終盤, 柳の結婚式でピアノを弾く和音の音の描写が印象的だった.
「一度両手を膝の上に戻した後、ゆっくりと曲を弾きはじめる。あまりにも自然に始まったので、身構える暇もなかった。その辺に漂っていた音楽をそっとつかまえて、ピアノで取り出してみせているみたいだ。どこにも無理のない、自然な動き。和音が弾くと、何もかもが自然に見える。」(:227
その他にも, 本書には音や音楽についての素敵な表現が多数あらわれる.

タイトルである「羊と鋼の森」は, 調律師が歩き続けていく広大な森のことだ.
フェルトとピアノ線で作られる森を歩いていく外村のこの先が気になる一冊.

(写真は久しぶりにお邪魔した福島市飯坂温泉「餃子の照井」. 円盤餃子はもちろん美味しかったのですが, らぁめんも上品な醤油味で美味しかったです!)