野村誠 (2015). 音楽の未来を作曲する. 昌文社.
key words:演奏, 遊び, 作品, ごった煮
作曲家・ピアニスト(他にも肩書き多数)の野村誠による自伝的一冊.
本書の前半では, 8歳で作曲をはじめた野村が, 高校一年生のときに訪ねた作曲家・戸島美喜夫先生に持参した自作を「これは、作品というより、君の演奏だね」(:40)と言われたことから, 作品とは? 演奏とは? と考え始める様子が描かれる.
そして, 独学で作曲を学び, そして大学では作曲サークルを結成し, さらには子どもたちとの共同作曲から
しょうぎ作曲やえずこホールでの「十年(てんねん)温泉」の取り組み
(何年前だろうか? とにかく楽しかったのを覚えている), 「門限ズ」(:123)へと繋がっていく道筋が紹介される.
どこからこんなアイディアが?
と驚くものばかりで, そこに立ち現れるのは, 読んでいて本当に面白いドラマチックな人生だ.
たくさんの試行錯誤に触れ, 野村は従来の音楽が抱える矛盾を鋭く突いていく
(たとえば「楽譜には、音の出し方の細かい指定は書き込まれているが(フォルティッシもからピアニッシモまでのダイナミクス、アクセントやスタッカートなどのアーティキュレーションなど)、休符に関しては、どの程度の緊張感のある休符か、どの程度のゆるい気持ちの休符なのかは、楽譜に記されることは少ない。」(:114)など).
イギリスでの留学から帰国した野村は, ガムランのための新作を作りながら, 「私の作品」を「私たちの作品」にするやり方について考えはじめる
(:139-).
そこで野村は, これまで当たり前にあった「楽譜」そのものの制度について疑いはじめ, 「完成した楽曲を記録するもの」としての楽譜から, 「未完成の楽曲に参加するためのもの」として(「やわらかい楽譜」)そのあり方を変え
(:156-157), より開かれた作品を作っていくのだった.
その後も野村のアイディアは, 動物との音楽や「野外楽」(「室内楽」に対してつくられた言葉. 帰国後に行われた鍵盤ハーモニカでの野外楽(路上演奏)は, CDブック「路上日記」(ペヨトル工房)にまとめられていた通り. その演奏を録音した付録CDもとっても楽しかった), そして「考古楽」(「北斎カルテット」)など, 次々と膨らんでいく.
そのさまは, なによりも作曲家本人が楽しんでいるのが分かるため, 読んでいて爽快だった.
本書は最後の第17章「ごった煮は共鳴する」で締めくくられる.
まずは「千住だじゃれ音楽祭」の取り組みが紹介される(:254-)が, なんともナンセンスで, そしてなんとも愛おしい取り組みだ
(観に行ってみたかった!).
野村の活動は, その後も「瓦の音楽」(:265-)やJACSHA(日本相撲聞芸術作曲家協議会)の取り組み(:270)など, 多岐にわたっていくのだった.
印象的だったのは, 「共存の対位法」と名付けられた最後のセクションだ.
野村はいう.
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この世界には、様々な対立や衝突がいっぱいある。それらが、総体として醜い不協和音になって、悲惨な状況がいっぱいある。現代音楽では、不協和音を美しく響かせる方法を開拓してきた。世界の対立を美しく響かせ、紛争を共存に変えていけるヒントは、作曲にあるはずだ。バッハは複数の声部を共存させたし、ストラヴィンスキーは複数のテンポを対置したし、ツィンマーマンが異なる音楽を同時にコラージュした。異なる物を多層的に存在させ、お互いが打ち消し合わない方法を、対位法と言う。対位法の発想を持てば、対立や衝突は、共存になり得ると思う。
混沌の不協和音をどう整理して良いか分からない指揮者がいたとしよう。彼はきっと、強権的に振舞い、雑音として少数意見をカットして単純化をはかる。それでは、交響曲でも、公共曲でも、交狂曲でもにない。対位を醜悪な衝突ではなく、共存にするための対位法。現代の作曲の考え方は、現代社会にこそ必要なのではないか。(:276-277)
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そして彼はそれぞれをそれぞれのまま響かせる方法を模索し続ける.
「ごった煮」を「ごった煮」として受け入れながら.
あとがきの最後の最後(クレジットの前のページ)に書かれていた言葉は, 「はじまりますよ」.
今後の彼の活動(9月の山形ビエンナーレ!)も楽しみだ.
(写真は山形市「茶琉」. ハード系のパンがとっても美味しかったです)
※お話をいただいて書いた「good mornig」という曲が, 先週末から流れている東北公益文科大学のテレビCMで使われています. よろしければ是非ご覧(?)くださいませ.