12/23/2011

青山真治 あじまぁのウタ

  
青山真治 (2003). あじまぁのウタ.

青山真治監督の「あじまぁのウタ」を観た.
りんけんバンドのヴォーカル, 上原知子を追ったドキュメンタリー映画である.
2003年に山形国際ドキュメンタリー映画祭で上映されたのだが, その時は観ることができなかった作品だ.

映画は, りんけんバンドのライヴ映像と, 夫でありバンドのリーダーでもある照屋林賢とのラジオ収録やレコーディング風景の, 大きく2つで構成されている.
それだけ, である.
これといった特徴的なカメラワークや編集もなければ, インタビューもメインでない.
ただじっと, 上原のうたう姿を, 語る言葉を(ときにはガラス越しに)撮り続けている (それがある意味 特徴的なカメラワークなのだが).
 
どんなときでも, 決して飾らない, 自然体.
日常生活の延長線上にうたがあるかのような雰囲気だ.
リラックスしたレコーディングやラジオ収録の光景を見れば誰もがそう思うだろう (ふたりの空気感がとてもいい).
しかし, そんな見た目とは真逆に, 「うたうこと」に対する覚悟が上原の口からは語られる.
 
ライヴがあるたびに引退を決意する.
うたなんてもう絶対うたわない.
 
上原はそう思うのだという.
うたうときには「水を飲むこと」にさえも神経を使い, ライヴを無事に終えられるたびに心の底から感謝をする.
上原にとってうたうということは, そんな覚悟の経験である.
映画会社の予告編では「癒しと喜びの讃歌」として語られてしまう「あじまぁのウタ」だが (「あじまぁ」とは「交わる, 交差点」(山形国際ドキュメンタリー映画祭実行委員会 (2003). 琉球電影列伝 : 75)の意味), 本作にはそんなステレオタイプには還元されない, 上原のうたに向かう真摯な姿が描かれている.

映画の中盤, いとこが集団就職で沖縄を発つときに, おばあがうたったという「だんじゅかりゆし」の話が出て来る.
10歳のときに聴いたそのうたが今も最高のうただ, という上原.
そのシーンがとても印象的だった.
話して語る以上に, うたで語ってきた文化がある沖縄.
そんな文化の中で育った上原がうたううたには, もちろん, 沖縄(の文化や歴史)が滲み出る.
彼女には, それを負うことなく, 自分の表現として信じうたい続けていく覚悟がある.
淡々と撮られる映像にもかかわらずわたしたちを魅入らせるそれは, きっとうたい手の心意気そのものなのだろう.
 
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