伊東祐吏 (2010). 戦後論:日本人に戦争をした「当事者意識」はあるのか. 平凡社.
key words:「当事者」として問題を扱う, 「当事者」として考える
筆者が提出した修士論文(名古屋大学大学院文学研究科)をもとにした論考集だという
(:295).
本書の構成は以下のようになっている.
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序論
第一章 「敗戦後論」とその批判
第二章 「敗戦後論」に見られる諸問題
第三章 戦争と「当事者意識」
結論
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まず, 序論において筆者は広島の原爆慰霊碑に刻まれた碑文の言葉をめぐる「碑文論争」から話をはじめる.
ここで筆者は, その論争がいたずらに賛否をくり返すだけで論争と呼ぶに値する議論になっていないことを指摘するのだが
(:11), そうなってしまう理由を「当事者意識」の欠如に求める
(:12).
そして, 「このような現象がみられるのは、「碑文論争」に限らないと私は考える」とし, それを「戦争についての戦後日本の「当事者意識」の欠如」へと繋げていく(:同).
そこで筆者が注目するのが加藤典洋の「敗戦後論」である.
なぜなら, 大部分の論考が「戦後の日本における「当事者意識」の欠如を、自分自身(=日本、日本人)の問題として扱うことができていない」(:14)なか, 加藤の論考は「戦後日本が、戦争をしたことをどこか無関係に思ってしまうような「当事者意識」の欠如という問題を、自分自身の問題として、その原因を日本、日本人に問うことができている」(:15)と考えるからだという.
そのうえで, 第一章と第二章では加藤の「敗戦後論」について詳しく論じられる.
第一章では, 「敗戦後論」とその批判について整理される.
第一節では「敗戦後論」の特徴と批評家・加藤典洋についてまとめられる.
ここで筆者は加藤の「「負け」や「よごれ」をひきつぎ、「ねじれ」のままに生きるあり方」(:35)と, 「ねじれ」のままに生きる可能性(「「戦前とのつながらなさ」を受けとめることによって戦前と関係する」(:47)やり方)について紹介する
(加藤のいう「ねじれ」とは, 「平和憲法が連合軍の武力を背景として押しつけられたことや、天皇が戦争責任を問われていない」ことなどにある問題(:32)であり, 日本には「ねじれ」の感覚がないので, 「国内向けの自己と、国際社会向けの自己に分裂していると指摘」(:33)するものである).
そして, 加藤の戦後評論を「日本に「ねじれ」の感覚がないという問題意識をもとに、「文学」によって戦争や国民国家という政治的な問題をとらえなおしながら、戦後の日本人と戦争の関係、日本と被侵略国との関係を考えた論考である」(:50)と総括する.
第二節では, その加藤の戦後評論に対して向けられたさまざまな批判について整理される. この批判は大きく5つに分けられるのだが, いずれも正当な批判ではなく,「要するに、「戦後日本は大東亜戦争を受けとめないかぎり、謝罪は不可能である」との加藤の主張は、その前提として「戦後日本が戦争や大日本帝国とつながりがあること」や「国民国家という枠組みのなかで生きていること」を認める立場にあるために、そのことをすぐさま大東亜戦争や国民国家の肯定として受けとってしまった人々が、加藤に対して被害者無視だとか、国家主義的だとの批判を寄せたのである。しかしそれは批判ではなく、拒否反応に近い。(…中略…)本来議論されるべき主題が受け取られなかったというのが、「敗戦後論」論争の実態である。」(:81)とまとめられるのだった.
第三節では, 以上のまとめを踏まえて「敗戦後論」論争がかみあわない理由について考察される.
その理由を筆者は, 「加藤と「国民国家批判」の対立は、まるで一種のあわせ鏡」であり, 「スタート」側から立論する加藤と, 「ゴール」側から立論する「国民国家批判」が, 「実は自分の影法師と戦っていた」(:93)ことに求めるのだった.
第二章では, 加藤の「敗戦後論」にみられる諸問題が筆者の視点からまとめられる.
第一節では, 加藤が「戦前と戦後のあいだには、深い「断絶」があるととらえており、戦死者にとって戦後の日本人は「裏切り者」である」(:116)と受け止めるようになった理由について考察される.
そして第二節では, 実際に加藤の論考が行っている内容やその達成度について検討される.
筆者は「加藤の「文学」は機能障害を起こしており、「戦前の受け止め」は十分に実践されていない」(:143)とする.
なぜなら, 「戦前と戦後が「断絶」している以上、やはり当事者として「負け」や「汚れ」を十分に感じることはむずかしく、「ねじれ」をもたらす経緯と無関係であるならば、「ねじれ」の感覚をもつことは困難」(:128)だからであり, だから戦後日本は「戦争をしたこと」を受け止められずに「当事者意識」をもてない(:145)とするのだった.
第三章では, 「ダマシダマサレ」ながら戦争を行った責任について論考される.
第一節では伊丹万作や丸山眞男, 小熊英二らの言説や戦争責任論の問題点が整理され, 「従来の研究が、いかに国民が「ダマシダマサレ」ながら戦争をすすめていったことを論じきれていないか」(:163)まとめられる.
ここでの筆者の目的意識は「自分のことを棚上げしないかたちで戦争について「当事者意識」を問うことにより、現在多くなされている議論とは違う論点をとりだして」(:173)みることにある.
第二節では人々から「当事者意識」が欠如する様相について述べられる.
筆者は「敗戦直後の日本には、戦争と自身の関係のとらえ方のパターン」(:186)として, それぞれの主張を「一億総懺悔」論, 「犠牲者」論, 「自業自得」論, 「ひらきなおり」論があるとまとめる.
そして, 戦中の「縛られていた」という感覚(:189)から, どの論も互いに責任を押し付け合いながら対立していることを指摘するのだった
(:187).
第三節では, ではなぜ「当事者意識」が欠如したのか, その原因について考察される.
筆者は「彼らが、自分で自分を縛っておきながら、あたかも他者に縛られていたように感じ、また、自分たちが招いた結果に「当事者意識」をもてなくなったことには、戦中における彼らの行動に原因があった」(:199)と考える.
その行動の背景にあるのは, 自分たちは「与えられた役割をこなしながら堪え忍んでいた」(:同)という感覚だ.
さらに筆者は「戦中に人々の生活に強制力をもっていたのは、国家権力の恐怖などよりも、そうしなければいけないと思う自分の気持ちや、人と人とのつながり」(:203)であり, 自分の役割に徹すれば徹するほど戦争を進展させたにも関わらず「「やりたくてやったんじゃねーよ」という「当事者意識」の欠如」をもたらした(:同)ことを指摘するのだった.
第四節では, 大岡昇平, 吉田満, 岩崎昶ら「戦争についての「当事者意識」をもつ者たち」(:210)の考えが取り上げられる.
そして第五節では, 丸山眞男, 竹内好, 鶴見俊輔ら, 戦後知識人とよばれる人たちの考えが取り上げられる.
筆者は彼らが戦争の最前線では戦わなかったことから, その思想の特徴を「補欠」という言葉であらわす.
それ(「補欠」)ゆえ, 彼らには「戦争をした責任が自分に返ってこない(誰かのせいにすること)」, そして「抵抗の可能性だけに固執する」といった特徴があると指摘し, それらは「当事者意識」を失わせる要因と同じものだとする
(:236).
そして, 「当事者意識」のない「補欠」の戦後知識人たちが形成した日本の戦後思想は「戦争に負けてすぐに自分から好んで「当事者意識」を捨て、今度は戦争の「当事者」ではなかったと主張する思想」であった(:239)とするのだった.
これらを踏まえて, 結論では「戦後の日本に見られる、戦争をしたことをどこか無関係に思ってしまうような現象を「当事者意識」の欠如という問題としてとりあげ、その様相やこれまでに行われてきた議論を検証しながら、その争点について論じてきた」(:267)筆者は, その要因を自ら堪え忍んで個々の役割をこなした日本人の行動に求め, 「自分たちが事態を進行させていることに実感が持てず、終戦後にはますます戦前に自分の行動とのつながりを失った」(:268)とこれまでの論をまとめる.
そして, 戦後思想をつくりあげた知識人らが戦争を「補欠」として戦ったがゆえに「当事者意識」が欠如していることを再び指摘し, 戦後知識人の思想を求めた戦後の日本人に「当事者意識」が欠如した戦後思想が形成された(:同)とまとめるのだった.
さらに, 最後の最後に筆者は印象的な問題提起をする.
その部分が以下である.
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それとも関係するが、戦争をした日本人の行動様式やメンタリティが、現在のわれわれにおいて変わっていないことも無視できない。私はさきに、戦争をした人々が、自分の身を守りながらやりすごすという方法をとったことにより、戦争を進展させておきながら「当事者意識」を失ったことを指摘したが、これと同様の「無責任の体系」は、戦後日本の社会構造やメンタリティにも深く巣食っている。その意味で、戦争をした人々と現在のわれわれは、ほとんど同一人物であるのだ。つまり、現在の日本人はいつでも、大なり小なり、戦争をしたのと同様のかたちで事件を起こしうるし、それを再び他人事のようにして葬り去る可能性がある。いや、すでにそのような行為を積み重ねているのであり、言うなれば、現在における様々な「当事者意識」の欠如や「無責任の体系」の起点に、戦争についての「当事者意識」の欠如が存在しているのである。戦争をした同時代人たちの体験が、われわれにとって他人事であるとは決して言えないのであろう。
以上に挙げた、現在の国民国家の枠組み、血のつながり、ほぼ全員が戦争をおこなったという行為の質、日本人の行動様式やメンタリティなどの複合的な条件から、私は、戦後生まれの日本人も、戦争の「当事者」であると考える。(:276-277)
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さらに筆者は, 知識人らが目の前にある諸問題について「自立」「成熟」を説くだけで現実と正対することを避けているとし, そうすることで現状に対し「当事者」であることからすりぬけてしまうことを危惧する
(:279).
本書は2010年の夏に出されたものであるが, 読んでいて想起されるのはやはり原発や自衛隊法案などをめぐる一連の問題である.
そこにも無責任と当事者意識の欠如がそのまま見られるのが恐ろしい.
その一方で, 読んでいてどこか空しさや気恥ずかしさを覚えてしまうのも(筆者自身も「自分を戦争の「当事者」と考えている」(:同)ことを告白するが, 戦争に行っていないのに遠くからなにを言っているのか…, と思ってしまうのも)事実である.
筆者がいうように, 「当事者意識」をもつことは難しい問題である.
本書で指摘されるように, 「当事者意識」は自ら掴み取るべきものであるのだから….
(熱塩加納町「ほまれ食堂」の担々麺. 太いちぢれ麺に辛い(ずっと食べているとホントに辛い!)スープが美味しかったです. そのあと, 若松・七日町の蔵喫茶「杏」へ
(途中、縦貫道では水田に磐梯山が綺麗に写っていて, すごい眺めでした). 大吟醸シフォンケーキをいただきながらのんびりさせてもらいました~)