村田沙耶香 (2015). 消滅世界. 河出書房新社.
key words:命のキャベツ畑, 人工子宮, 「子供ちゃん」
舞台は近未来, ヒトの妊娠・出産は科学的交尾(人工授精)によって発生し, 恋愛状態とは切り離されている
(:14).
ヒトに恋をしてセックスをする必要がなくなった人間は, 「アニメーションや漫画の中の男の子や女の子に」(:16)恋をするようになっていた.
たとえば中学生でもヒトと恋愛をしている子は少数で, 「大半の子は物語の中の人と清潔な恋をしていた」(:21).
その世界では「結婚は、子供が欲しいか、経済的に助け合いたいか、仕事に集中したいので家事をやってほしいか、そういう合理的な理由ですることが」多くなっている
(:74).
もはや恋愛感情は夫婦間には存在せず, 家族というシステムや概念も変わり
(恋愛は家の外でするものになっている), 広辞苑の近親相姦の欄には「夫と妻など、家族間で性交渉をすること」と書いてあったりする
(:138).
そんな時代に, 「雨音ちゃんも、いつか好きな人と愛し合って、結婚して、子供を産むのよ。お父さんとお母さんみたいに。そして愛する二人で、大切に子供を育てるのよ。わかった?」(:8)と母親に「正しい世界」について(つまりは人間同士が愛し合いセックスをして子どもを産み育てる世界について)いつも聞かされながら育った主人公・坂口雨音は, 中学生ながら「私の肉体の奥底には、母が言うような、好きな人と交尾して、「家族」である「夫」との近親相姦の末に子供を孕みたいというような本能が沈んでいるのかもしれない」(:29)と思う.
その一方で, 雨音は「ヒトとも、ヒトではないものとも恋愛を繰り返しながら大人になっていった」(:47)のだった.
大人になり一度目の結婚に(夫に近親相姦されて)失敗した雨音は, 31歳のときに婚活パーティーで知り合った雨宮朔と結婚する
(:50).
しばらくは家庭の外でそれぞれに恋愛を楽しんでいたふたりであったが, 恋に疲れ, 恋のない世界へ二人で逃げるべく, 「駆け落ち」することになる
(:167).
その行き先は, 「家族」というシステムに代わる新しいシステム(「楽園(エデン)システム」と名付けられている)で子供を育て命を繋いでいる, 千葉の実験都市だった.
そこでは, 毎年一回コンピューターによって選ばれた住民が一斉に人工授精を受け, ちょうどいい人数の子供が生まれるよう完璧にコントロールされている.
また, 男性も人工子宮を身体につけて受精する.
そして, 人工授精で出産された子供はそのままセンターに預けられ, すべての大人がすべての子供の「おかあさん」となるのだった
(:116-117).
最初は, あんなの絶対にうまくいかない, 家族がいない人生なんて考えられないと思っていた(:133)朔であったが, 千葉での生活が進むにつれその気持ちが変わっていく.
そして「街全体でヒトの子供というペットを飼っているような光景」(:180)に「これではまるで、均一で都合のいい「ヒト」を制作するための工場ではないか」とぞっとしたり
(:183), みんな同じ髪型の子供を可愛がる夫にうすら寒い気持ちを抱いていた(:182)雨音も, 次第に変わっていく.
やがて, 「一人で一生暮らすなんて孤独だろう」と思っていたその気持ちも, 「いざ、すべての人間がそうして暮らす中で日常を送り始めると、元から自分たちはこういう習性の動物だったのだという気持ちに」変わっていく(:205)のだった….
物語のラスト, 夫が産んだ赤ちゃんを見ようと新生児センターへやってきた雨音は, ガラスの向こう側に広がる巨大な「ヒト」の畑(:233)を目にしながらこう思う.
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ガラスに近付いて改めて眺めると、青白いキャベツ畑に見えた赤ちゃんたちは、膨張した精子そのものだった。
頭の中に、子供のころ母に写真を見せられた父の顔が浮かんだ。母に流し込まれる前、私はあの男性の睾丸の中で、こんなふうに整列していたのだろうか。命が繁殖する仕組みに、従順に従って、名前のない、無垢で純粋なただの命の粒として。
遠くで何匹か、死んだ子が運ばれていくのが見える。かと思えば、新しい子供が運ばれてきてその隙間に置かれる。
この命のキャベツ畑は、私がずっと見てきた世界の光景そのものだった。成長した命はやがてここから消滅し、発生した命が運ばれて来る。命の粒が運ばれてそこにできた穴に新しい命がおさまる。命が入れ替わりながら、まったく同じキャベツ畑の光景が永遠に続いていく。私たちは世界に陳列された命で、それだけだった。世界はいつでもそうだった。生命はいつでも正しかった。
ここにいるすべてが私の「子供ちゃん」だった。(234-235)
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物語のラストの数ページ, 村田は自分の母親を隣の部屋で飼っている雨音の姿を描く (252-253).
作家は, それでもやはり家族との繋がりが必要だった主人公の姿を見せようとしたのだろうか.
それとも, 人間の本能が消滅した完全に新しい世界へ取り込まれた人間の姿を見せようとしたのか….
母親が雨音へかけた呪い(人間の本能)は果たして新しい生き物である人間に打ち勝つことはできたのか…, それは分からない.
村田はなんとも不気味で居心地の悪い世界を炙り出す.
しかし, そこで炙り出される世界に不気味さや居心地の悪さを感じるのは, その世界があながち夢物語ではないとこちらへ思わせるものがあるからだろう.
「殺人出産」などにも共通のテーマではあるが, 果たして「正しい」世界とは, 「正常」とは何なのか…, 考えさせられる一冊である.
(昨日お邪魔した山形市「季分屋」さんのチーズハンバーグとエビフライ. もちろん美味しかったのですが, 自家製チーズケーキがしっとり・ねっとりで美味しかったです. 最後, 練乳のような甘さがふわっと口に残るのが最高でした)
※そして昨日の夕方買って来た, 仙台「オフルニルデュボワ」のバタール
(↓). 今朝いただいたら, あぁ, 幸せ….