田口ランディ (2006). 被爆のマリア. 文藝春秋.
key words:ヒロシマ, 広島
だいぶ前に新聞で目にしていたタイトルを図書館で偶然見つけ, 読んでみる.
だいぶ前に新聞で目にしていたタイトルを図書館で偶然見つけ, 読んでみる.
収められているのは「永遠の火」「時の川」「イワガミ」「被爆のマリア」の4本.
いずれも原爆が物語に絡み合う.
「永遠の火」は, 結婚式のキャンドルサービスに「原爆の火」を使うことを提案する父と娘をめぐる物語.
60年前の原爆の火種を持ち帰ったという「原爆の火」(:23)を, その火を受け継いだ父は娘の結婚式で使ってほしいと願い出るのだった.
「平和とか、戦争反対とか、原爆とか、そういう強くて正しい社会的なことに、私の人生は一切関係なくこれまできた」(:27)と思う主人公である娘は, ごくごく普通の幸せ, 普通の結婚式を望み, 結婚式に原爆の火だなんて冗談じゃないと思う.
その一方で, 「そんなのはただの火なんだから割り切ればいい」(:39)と分かっていつつも, それが出来ない自分を見つけるのだった.
なぜ自分は原爆の火を拒否することも, あるいはただの火だと簡単に考えることも, どちらもできないのかと, わたしは葛藤する.
そして, 平和を祈る心について考えつつ
(:47), 父とコミュニケーションを取ってみようと思うのだった.
「時の川」は修学旅行で広島を訪れた中学二年生のタカオの話.
原爆資料館の展示を観て, タカオは「核分裂の強烈な閃光がそれらの物質を変質させたのはわかる。なぜこのモノたちがここに展示されているのかもわかる。それくらいの理解力はある。だが、たぶんこれを展示した人たちが期待しているであろう何かを感じることはできない。逆にその期待の大きさを理解できるので、タカオはひどく居心地が悪かった」(:72)と思う.
そう思うような中学二年生と, 語り部であるミツコを巡る話である.
「イワガミ」は, 新聞社の資料室で偶然見つけた「磐神」という一冊の本を巡る話.
主人公である羽鳥は, その本に強く惹きつけられ, その著者である宮野初子を探すことになる.
羽鳥は, 「史上初の被爆国、日本。二十数万人を殺した原爆。でも、その加害国であるアメリカと日本は同盟国だ。アメリカはどうやら、日本に二個の原爆を落として悪かったとは思っていない。日本人はアメリカに対して強く謝罪を要求しないまま六十年が過ぎた。なにかが変だと思っていた」(:117)との思いから広島を書く記者だが, なぜ自分が広島を書くのか分からなくなっているときに「磐神」と出会ったのだった.
「磐神」は, 「すべてを受け入れる冷徹な自然な、底なしに慈しみ」(:137)が描かれている.
怒りや憎しみではなく, 「死んでいく者たちの記憶の底にある最も美しい場所として」広島を描いた(:同)宮野初子を探す旅は, 羽鳥のヒロシマではない本当の広島を探す旅(:168)へと繋がっていくのだった.
「被爆のマリア」は救われない現実を生きる女・佐藤の物語.
読んでいて辛くなるような日々(その日々を現代の闇といってしまえば興ざめだが, 決して特別な日々ではない)を生きる佐藤は, 長崎で被爆したマリア像を自分の救いだという
(:216) .
それを救いに, 壮絶な出来事の末に彼女はいう.
「マリア様、今日もなんとか生きています。」(:259)と.
人間の闇の部分をこんなにも生々しく書く作家だったのか, と驚きながら読んだ.
(写真は福島市の花見山(菜の花の黄色と桜の薄紅がとっても綺麗)と, 阿武隈川沿いの「Kawaberry cafe」. 散歩するには少し肌寒い気温だったので, あたたかい珈琲が嬉しかったです)
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