9/16/2013

風立ちぬ


映画「風立ちぬ」
原作・脚本・監督 / 宮崎駿(2013年)

「僕らは一日一日をとても大切に生きてるんだ」
菜穂子との暮らしについて答える堀越次郎のセリフだが, 大切に生きているのは二人の時間ではなく次郎自身の夢に向かう時間である気がして…, どうしても違和感があった.

映画パンフレット(東宝(株)出版商品事業部, 2013)にある「飛行機は美しい夢」と題された企画書で, 宮崎駿は次のようにいう.

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自分の夢に忠実にまっすぐ進んだ人物を描きたいのである。夢は狂気をはらむ、その毒もかくしてはならない。美しすぎるものへの憧れは、人生の罠でもある。美に傾く代償は少くない。次郎はズタズタにひきさかれ、挫折し、設計者人生をたちきられる。それにもかかわらず、次郎は独創性と才能においてもっとも抜きんでていた人間である。それを描こうというのである。

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なるほど, 次郎の夢は(夢だけは)どんどん大きくなっていく (それは「夢に生きた人物を描きたかった」という監督のことばどおり).
そしてその夢はとても魅力的だ.

その一方で (夢が膨らめば膨らむほど), 戦争は?菜穂子の死は?と観る者には気になることがどんどん増えていき, 次郎の純粋な夢に置いてきぼりになってしまう.

夢のなかでカプローニから「創造の寿命は10年だ」と言われた次郎の夢は, そのとおり10年で失敗に終わる.
それでも夢に生きた男は素晴らしい, と描かれ(ているようにみえ)るが, そのうしろでずっと続いていた暮らし(たとえ戦争中でも, 死を目前にしていても, でもだからこそ大切な穏やかな暮らし)が なんともぞんざいに描かれているように感じられて…, ラストは少し興醒めしながら観てしまったのだ.

監督がいう, 次郎の夢がはらんだ狂気とはなにか, その毒を隠さないということはどういうことか.
夢を追う男が主題だったとしたら, 菜穂子の存在にはどういう意味があったのか….
そして, 監督にとって毎日の暮らしは描くべき対象ではなかったのか….

もう少し考えてみたいと思っている.