映画「pina ピナ・バウシュ:踊り続けるいのち」
ヴィム・ヴェンダース監督
2006年の春, 国立劇場でヴッパタール舞踊団の「カフェ・ミュラー」と「春の祭典」を観た.
それが, 舞台上で観た最初で最後のピナのダンスだった. あのとき, 白い衣装を纏って静かに踊っていたピナ・バウシュ (「カフェ・ミュラー」).
ヒステリーとノスタルジー(何故かそう感じたのを覚えている)が危うい関係で共存する作品において, 彼女はその橋渡しをするかのごとくニュートラルで透明な存在感で舞台上にいた.
これといって大きな振りをするわけではないのに, そこに存在するのとしないのとでは舞台が全然違うものとなる.
そのことがなんだか衝撃的で, 印象に残ったのだった.
あの衝撃を, まさかもう一度 感じることができるとは….
映画「pina」を観て, 一人6年前へとタイムスリップしていた.
3Dで撮られた映画は, 驚くほどの臨場感で観る者に迫って来る
(実は初・3D映画だったのだが, 正直驚いた).
大勢でのユニゾンが近づいて来る迫力は, スクリーンを忘れさせるほどだ.
「舞踊にとって空間は、魚にとっての水と同じです。3Dなら、空間を描き出すことができる。」
2月28日付の朝日でそう語っていたヴィム・ヴェンダース.
まさにこの映画では, 空間やその広がりが撮られている. ものすごい想像力と創造力である.
改めて, 映画監督の頭の中というのは一体どうなっているんだ…, そんなことを思ってしまう.
映画は, 作品(「春の祭典」「カフェ・ミュラー」「コンタクトホーフ」「フルムーン」の4つ)と, 団員によるピナとのエピソードの独白, そしてダンサーのソロパフォーマンスを織り交ぜながら進んで行く.
圧巻なのは, 4つの作品を通じて浮かび上がるソロの繊細さとtuttiの壮大さだ. それはまるで音楽のよう.
人間としての存在そのものを踊っているダンサーの姿に, すっかり見とれていた.
作品制作にあたって, ピナはダンサーに100にものぼる様々な質問をするのだという.
その質問に, ダンサーたちは自分の経験とイメージ, つまりは人生そのものを総動員して答えることになる. それぞれのダンサーが生きてきたすべてが, そこには詰まっているのだ.
そのやりとりを通じて, ピナの作品は作られていく.
そこに, 観る者をがっしり掴んで揺さぶるあの作品たちの秘密があるのだろう.
「踊りなさい、自らを見失わないように」
ピナの最後の言葉が響いている.