Ishiguro, Kazuo (2015). The Buried Giant.
= 土屋政雄訳 (2015). 忘れられた巨人. 早川書房.
key words:霧, 船頭の質問,忘れられた記憶, 忘れたい記憶, 忘れられない記憶
舞台は, まだ未墾の土地ばかりであった中世イングランド.
人間が住む村の外には鬼がいた時代の話である.
小説の冒頭で提示されるこの設定に, まずは驚かされる.
主人公はアクセルとベアトリス, 丘の斜面に掘られた巣穴のような村に住むブリトン人の老夫婦だ.
彼ら・彼女らが住む世界では, 健忘の霧(:60)の仕業とみられる記憶喪失が多発し, このふたりもそれに翻弄されているのだった.
ある日, ふたりは東に住む息子に会うべく, 旅に出る決意をする (:26).
その途中に立ち寄ったサクソン人の村で, ふたりは東の沼沢地から来たというサクソン人の戦士・ウィスタンと, 彼に鬼から助けられたという少年エドウィンに出逢い, ともに旅をすることとなる (:第3章).
ベアトリスは体に痛みをもっており, 旅の途中, 高僧医師・ジョナスへ会うため修道院へ寄ろうとする.
その途中, 雌竜・クエリグ退治をアーサー王に命ぜられたというブリトン人の老騎士・ガウェイン(アーサー王の甥)と出会い
(:135), 霧の原因が竜のクエリグの息であることを知るのだった
(:199)….
文章には, 読み手を物語の世界へ引き寄せて離さない力がある.
驚くべき秘密のあった修道院から地下道を通って逃げるシーン(:第7章)など, アクション映画を観ているようにハラハラした.
また, 物語が進むにつれて次第に霧の謎が少しずつ解け, ふたりが記憶を取り戻していく様子にもどきどきさせられる.
どうやらアクセルにはかつて戦士として戦っていた過去があったようなのだ.
物語は, 現在と過去, 消えた記憶と蘇る記憶を交差させながら昂揚感を増していく.
中世イングランドの不思議な話に(そして翻訳作品特有の独特な言い回しに)最初は馴染めずにいたが, いつの間にかぐっと惹きこまれていた.
噛み傷を負ったことで不思議な力をもった(:224)少年エドウィンに導かれ, ついにウィスタンは竜・クエリグの住処へとやってくる.
そして, ガウェインを討った彼(ウィスタンとガウェインのふたりはどちらがクエリグを倒すかで戦っていた)がクエリグを退治したことで霧が晴れると, 楽しい記憶だけでなく悲しい記憶もベアトリスは思い出していくのだった.
物語は最後の数十ページで急展開する.
妻の不倫の記憶がよみがえり, 旅の目的であった息子もすでに死んでいたことが明らかになる.
そして, 舞台は再びいつかの島に変わり, そこへ渡ろうとするふたりを描く
(第十七章).
いつも一緒だった夫婦は、最後の最後に別ればなれになる.
島に渡る妻と, 妻に別れを告げ(たかのように見え)る夫の姿が描かれ, 物語は終わるのだった.
忘れられた記憶, 忘れられた巨人は再び蘇えらせるべきなのか, それともそのまま忘れ去られるべきなのか….
手に汗握る冒険の中にある物語の本質は, まさにそれだ.
この物語は, 血塗られた戦いの記憶がよみがえ(り, 平和の日々が終わ)ることを恐れた男(:334, 384)と, 忘却を怖れ昔の楽しい思い出がよみがえることを願った女の話なのか.
それとも, 最後までそんな女を信用できなかった男と, 男を試そうとした女の話なのか.
あるいはまったく逆に, 赦しを求めた男と, 赦せなかった女の話しなのか….
読み終えてもなお, 霧は晴れていないようだ.
(写真は はじめて訪れた喜多方・新宮熊野神社. 境内は大きな銀杏から舞い降りた葉っぱで, 一面黄色の絨毯! とっても綺麗でした. そして約1000年前に建てたれたという長床(拝殿)は荘厳な雰囲気 (今日は子どもたちが大勢走り回っていましたが…). こんな場所があったんですね)