井上荒野 (2008). 切羽へ. 新潮社.
key words:ミシルシ, 「切羽までどんどん歩いていくとたい。」(:173)
小学校の養護教諭・麻生セイ(31歳)は, 島の小さな丘のてっぺんに建てられた家に画家である夫・陽介と暮らしている.
島での暮らしは東京のそれとは違いとても静かなものだった.
そんな明るく穏やかな暮らしが続いていたところに, 新しい音楽の専任教師・石和聡(いさわさとし)が赴任してくる.
物語は, 石和に惹かれるセイを描く.
小説の内容としてはたしかにそうなのだが, セイの石和に対する思いの起伏が, ことさらあっさり描かれていて, 妻の気持ちを推し量る陽介の描写もなんだかあっさりしすぎている.
最初は違和感をもっていたが, 次第に案外現実はそんなものなのかもしれない, とも思えてくる…, 淡白な書き方だ.
現実世界において, 言葉ではないところでやりとりされる情報量の多いこと.
言葉や説明はなくても, 事実や想いは淡々と, でもじんわり確実に変化するものなのかもしれない.
それを想像することを書き手は読み手に求める.
小説のタイトルになっている「切羽」について, セイが説明する場面がある.
「トンネルを掘っていくいちばん先を、切羽と言うとよ。トンネルが繋がってしまえば、切羽はなくなってしまうとばってん、堀り続けている間は、いつも、いちばん先が、切羽」(:195)
進んでいるうちはいつも先頭で不安だが, でも繋がってしまえば無くなるのが切羽.
心のどこかに孤独や寂しさを抱えているセイ(風邪で寝込んだとき夫に「陽介さんが死んでしまったら、私はひとりになってしまうとよ」という(:125)セイ)と, 冷静を装いながらも もがいているように見える石和 (彼はセイに「いろいろやってみるんですよ。どうにかして、どこかに行けないものかと」(:130)といったりする).
セイは たしかに石和に惹かれながらも,
ふたりは最後まで一線を越えない (繋がってしまえば無くなるのが切羽なのだ).
何かが起こりそうな予感だけを残して, 小説は静かに終わっていくのだった.
(写真は大量に届いた庄内柿. 大好物です)