11/17/2016

山下澄人 コルバトントリ


山下澄人 (2014). コルバトントリ. 文藝春秋.

key words:堀と鯉, 月の見張り番のおじいさん(:10)と父のおとうさんにかたちを変えたおじいさん (102), 雨の音

はじめて読むスタイルでこんな小説は読んだことがないのに, でも目の前に広がる光景は何処か懐かしい(きっと大阪の人が読めばさらにそう感じるだろう)….
こんなことが小説はできるんだなぁ, と思いながら読んだ.
現在も未来も過去も, ぼくもぼく以外も, 現実も非現実も…, すべて同じ次元で存在する.
現在と未来と過去, 現実と非現実は分けられるものではなく, 共存しているのだ.
このファンタジー・メルヘン感を小説で味わうのが面白い.

三か月前からおばさんの家に住んでいる「ぼく」(:7)が, この物語の主人公だ.
物語にはぼくとおばさんのほか覚えきれないほどたくさんの人物が登場するのだが…, 正直よく分からない (彼ら・彼女ら(そして猫のチビやシャチ…)は突然現れたり突然いなくなったり年を取ったり若返ったり死んでいたり生き返っていたりする).

この物語では, 視点が, 人称が, 時間が自在に入れ替わる.
たとえばこんなふうに.

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ぼくはおばさんに[いてきます]と書いた紙を見せた。おばさんはそれを読んで
「うん」
といった。そしておばさんは小さい[っ]が抜けているなあと思った。(:同)

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「大きな鯉がおるのぉ」
いつの間にか知らない男の人がぼくの隣にいた。男の人は兵隊の服を着ていた。ここが堀というのだとぼくはその人に教えてもらった。
「敵がせめて来んのをここで防ぐんや」
男の人はいった。その何十年後、ぼくは子どもに同じ事をいう。けれどそのときぼくはこのときの事をおぼえていない。子どももそれをぼくに聞いた事をおぼえていない。それでも子どもはお城の前にある川のようなものを堀ということを知っている。(:18

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不思議な酔いの感覚が全体を通じて漂っていて, それが本書の魅力になっている.
バラバラの断片を集めたようでいて, でも筋が一本しっかりと通っている不思議さもある.

ギャグなのだろうか, とも思う (前半は読みながら何度も噴き出してしまった).
現代詩なのか, とも思う.
コテコテに煮込んだ牛筋の煮込みのようにも感じられる.
新感覚の小説だった.

(写真はお昼にお邪魔した「暮らしの道具と糀カフェ 晴間」さん. 関沢インターの手前にある素敵なお店です. 本日のランチはグリーンカレー (なんとカレーにも糀が入ってます). ポカポカあたたまりました)
(その後 梅屋楽器店さんにお邪魔したのですが, ちょうどお箏のお稽古の日だったらしく,市川慎さん(「AUN J CLASSIC ORCHESTRA」など)を紹介していただきました. 爽やか・イケメンな先生ですが, 楽器屋さん曰く実は市川さん目当ての生徒さんも多いのだとか…)
(夕方には, 七日町から松栄に移転したパン屋さん「ボー・ションドブレ」にもお邪魔してきました. 二階は雰囲気のいいカフェスペースになっていて, ゆっくりパンをいただけます)
※つらつらと書いてしまいましたが…, そんな木曜日, 風の冷たかった一日でした