佐々木中 (2011). 九夏前夜. 河出書房新社.
key words:雨蛙, 蜥蜴, 「素晴らしい、彼女は夜だ。」(:86)
読み手のリズムをまるで麻酔のように狂わせ, みるみる書き手の呼吸の内へと取り込んでいく.
だが, それが居心地悪いかときかれれば, 決してそうではない.
馴れないだけだ….
はじめは何度も何度も同じ箇所を読み返し, 考え(理解しようとし)たが, すぐにやめた.
散りばめられている美しい言葉へ耳を澄まし, あとは書き手にリズムを合わせて読んでみる.
夢の中の話のように全ては理解できない(恐らく分かるようには書かれていない)が, それはそれで心地よい体験だった.
しかし不思議な小説である.
三十路男(:34)の主人公は夏のある日, 「祖父が晩年の軽躁ゆえに買い求めた別荘」(:13)に ひとりでやって来る.
庭いじりをしたり, 思い立って坊主にしたり, 海に行ったり, 思い出に耽ったり, 風呂に入ってそのあと裸でひとりごちたり, 「雨蛙を毎日三匹呑んでいた」(:53)祖父を思い出したりしながら, 夏の暑い日々を過ごす.
…, ただそれだけの話だ.
挙げ句のはてに, そんな自分を「三十路男が突然仕事もやめて祖父の酔狂の名残の陋屋に閉じ籠もって泥土に塗れたり海で泳ぐばかりであったり通りすがりの看護師に変質者扱いされたり果ては蜥蜴がどうした蛙がどうしたなどと言っているが、これはおかしい。何としても不自然だ。こんな馬鹿馬鹿しい話があるか。」(:56)という始末….
しかも登場人物は ほぼこの男のみ.
彼の独白が延々と綴られるのだ.
彼はこの別荘にいったい何をしに来たのか, 謎は謎のまま据え置かれる.
そして, 「しかしでは何故ここにいる。何のための逗留なのだ。一体何のために。おかしい、何かをするはずだったのに。何かをなしとげるはずだったのに。何かをしなくてはいけなかったのに。何かをするためにここに来たはずなのに。そんな「何か」など元からありはしないのか。気のせいなのか。いや、そんなことはない。何か、何か使命といったものがあったはずなのだ。それは何だ。…」(57-58)と彼の自問は続き, 何をすればいいのか分別がつかないのなら死んでみてはどうだ, いや, 死んではいけない(60-61)と続くのだった….
そのあとも, 女に別れ際「加害者ぶるんじゃねえ。」(:69)と言い放たれたことを思い出してみたり, そうこうしているうちにやがて夜になり, 海で傷ついた足が傷み, そして夜が明け…, 男は記憶の海に飲まれていく.
物語の冒頭で「あの夜の、あの邂逅から逃げた」(:6), 「その罰」を受けなければならない(:4)と男を苦しめているものは, 果たして男を苦しめるべきものなのか…, 正直, 最後には淋しさをとおり越して虚しさが残った.
また, 自分を客観視する場面や, 主体が「われわれ」になる場面(:78)(この場面は文章が韻を踏みながら ことさら演説調になったりもする), あるいは「足の傷はひどく傷んだ、いたんでいるのだろう、だが他人が滑稽に哀れを求めて無闇と痛がりさわぐのを冷然と眺める心持ちになり果て、裂いたのはどちらの足だったかももうわからなかった。」(:81)と自分を俯瞰して見ているような場面など, フォーカスが自在に変わる書き方が読み手を酔わせる.
これも読み手に不思議な印象を与える一因だろう.
率直に以前読んだ「切り取れ、あの祈る手を」よりも更に読みにくい一冊….
読むのではなく, 感じることで精一杯だった.
(部屋にはリンドウにフジバカマ
(いい香り). 秋です)