9/04/2016

井上章一 京都ぎらい


井上章一 (2015). 京都ぎらい. 朝日新聞出版.

key words:ひちじょう, ひっちょう, しちじょう, ななじょう

「行政上、京都市にはいっていても、洛中の人々からは、京都とみなされない地域がある。街をとりまく周辺部、いわゆる洛外の地は、京都あつかいをされてこなかった。」(:15)と語る筆者は, 右京区の花園で生まれ嵯峨で育った, 洛中の人からみれば「京都の人ではない」人間なのだという.
「京都の人」(と, いってしまおう…)がたとえば県外からの移住者を「よそもの」と区別する様はなんとなく共有されているような気がするが, 同じ京都市内においても, 洛中と洛外とでは全く事情が違うようだ.
「こういうことで私を自意識の病へおいこむ毒が、京都いう街にはある」(:16)らしい.
筆者は, さまざまな場面で感じる千年の古都のいやらしさ(「洛中的中華思想」(:186))を, 面白おかしく(腹のなかは恨みでいっぱいなのかもしれないが…)書き募る.

筆者は「非課税のお布施として処理されてしまう」寺の拝観料についても, そのいやらしさを指摘する (112).
さらに話題は日本史や日の丸・君が代にまで及んでいくのだった (建築学者である筆者の, 寺(=武士へのおもてなしから美しい庭園が整えられていった)の歴史をホテル経営の側面から読みとく視点(:124)は面白かった).

「七は「ひち」である」とサブタイトルが付けられたあとがき(:213)まで, 筆者の恨みは繰り返し述べられるのだが (), 読んでいて面白い一冊.

(今夜のNHK・クラシック音楽館, 最後の指揮者・広上淳一さんとヴァイオリン・篠崎史紀さんの対談がとっても面白かったです)