2/21/2015

仙フィル 第289回定期演奏会


仙台フィルハーモニー管弦楽団第289回定期演奏会
2015.02.21. 3 pm start / 日立システムズホール仙台 コンサートホール

演奏前のプレトークで「3人の作曲家の時代的な流れと人間関係を踏まえて聴いてもらいたい」と話した指揮者・広上淳一.
シューマンとクララ・シューマンのドラマやブラームスのシューマンへのオマージュなどを考えると, 確かにこの3曲がプログラムに並ぶのは興味深い.

1曲目はシューマンの「マンフレッド」序曲.
テンションの高い力強い音から始まった.
まるでラジオ体操をしているかのように(…そう見えてしまった)大きく振る指揮者.
まさに愛の苦悩や切ない響きがたっぷりと厚く奏でられた.

2曲目はクララ・シューマンのピアノ協奏曲 (a moll, 作品7).
クララが13歳のときに作曲し始めた作品だという (ちなみに初演はメンデスルゾーンの指揮にクララのピアノ!).
第二楽章のロマンティックな音楽(Vcとの二重奏)も素敵だったが, やはり第三楽章の優雅なダンスが美しかった.
難曲を見事に弾きあげたピアニスト(伊藤恵)は, 鳴り止まないカーテンコールに応えて素敵なアンコール(クララ・シューマン「四つの束の間の小品」より)を演奏してくれた.

休憩を挟んで, メインはブラームスの交響曲第1.
高く掲げた左手を振り下ろして, 重く第一楽章がスタート.
ブラームスの苦悩がどれほどのものだったのか, 冒頭主題から伝わってくるかのような厚く切ない演奏.
続く第二楽章が絶品だった.
甘く, とろけるように美しい音楽.
たっぷりと歌い上げる指揮者は, その後ろ姿からも音楽が聴こえてくるようだった.
第三楽章も同様に, あまく幸せな音が鳴り響く.
ここでもclobが好演.
終楽章はハ長調以降が会場中包み込まれるようで, 印象的だった.
そして大迫力のエンディングも圧巻だった.
多少のザッツのズレは気にならない熱演 (hnが素晴らしかった).
ラストのハーモニーは指揮者自身から音が出ていた感じがした.
波動が, waveが目に見えるようだった.

終演は1715.
鳴り止まないカーテンコールで会場は熱気にあふれていた

2/15/2015

東北の作曲家によるオーケストラ新作展


東北の作曲家によるオーケストラ新作展
大井剛史 指揮 / 仙台フィルハーモニー管弦楽団
2015.02.15. 3 pm start / 日立システムズホール仙台 コンサートホール

作曲者らによるプレトークとナビゲーターの山野雄大さんの解説に続いて, 演奏会は大場陽子作品からスタート.

大場陽子「ミツバチの棲む森」は「コロニー」と「ネオニコチノイド」の2楽章からなる.
第一楽章では, 女王蜂の役割を果たす弦楽四重奏が独立して前に配置された.
曲はtuttiのクラスターによるざわめきからスタート.
旋回しながら近づき, 遠のいていくのはミツバチの群れか, もしくは外部からの脅威か.
喧噪が去って, 第二楽章はArpFlの穏やかなデュエットから.
提示されたメロディはCl, Fl, Bn, Vib…とリレーされていく.
優しく透き通った光景が拡がる.
なんとも美しい光景だがこれは作曲者によるレクイエムなのだ.
ゆっくり, 何度も繰り返される旋律は, 逆境にも負けず続けられる生命の力強さを感じさせるのだった.

続く2作品目は木村正巳「交響曲」.
第一楽章「ad aquilonem(北へ)」は, ロマンティックな旋律や憂いを帯びた響きが次々と湧き上がる壮大な音楽.
ステレオタイプながらも, 交響曲の名に相応しい厚さだと思う.
まるでラフマニノフを思わせるような, 厚い(熱い)ロマンチックな強さで第一楽章は終止した.
続く第二楽章「vox(声)」は哀歌のような美しい響きにメゾ・ソプラノ(solo:井坂惠)が乗る作品.
音楽はみるみる昂揚し, テンションを増す.
ソリストの声が次々とかき消されたのは計算されたものだったのだろうか.
圧倒的なオケに, 声はところどころしか聴こえないのだった.
2つの楽章を合わせて30分を超える作品.
作曲者がいうように北方ロマン派を彷彿とさせる懐かしさ, 郷愁が不思議な印象を残す切ないラヴソングだった.
終盤, solo VnVcが奏でたメロディと, 弦楽四重奏が奏でた響きがとても美しかった.

休憩を挟んで3作品目は, 八島秀「交響詩 森のコラール」.
打楽器無しのオケ編成による作品. 
曲は2nd Vndiv)のアンサンブルからスタートした.
不安げな響きは次第に柔らかい響きになっていき, 後半, HnTubaから始まるコラールのフーガがオケ全体へと拡張されていくさまが美しかった.
タイトルにふさわしい大自然の重厚なコラールが奏でられたあと, 曲は静かな終わりへと収束していった.

最後の4作品目は小山和彦「オーケストラのための協奏曲」.
Vnによって冒頭奏でられるロマン派的な切ないメロディとXyloが先導する攻撃的な速いパッセージが, 表となり裏となりながら次々に提示される.
中盤, 炸裂するB.D. の打撃音は, オケとの関係を切望する切ない響きに聴こえる.
後半(solo Vnのヴィルトゥオーゾ的なカデンツァのあと)オケはテンションを増しエンディングに向けて疾走して行き, 曲は打ち切られた.

終演は175.
実験的な試みであったのだろうが, 会場はたくさんの観客であふれていた.
自分が設計した音風景が立ち上げるさまを客席から見ているのはどんな気分なのだろうか.
それはものすごいcooolな体験なのだろう.
そんなことをつい思ってしまった, なんとも立体的な演奏会だった

2/14/2015

山響 「アマデウスの旅」Vol.24


「アマデウスの旅」Vol.24:最終回
飯森範親 指揮 / 山形交響楽団
2015.02.14. 4 pm start / 山形テルサホール

演奏が始まる前に指揮者によるプレトークがあった.
9年前に計画されたというモーツァルトのプロジェクトも, 今回の24回目で最終回となる.
24回すべて来場したという観客も多数いて, それだけ注目されていた取り組みだったのだなぁと思う.

ステージ上は, 下手から1st, Vc, Fg, Cembalo, Vla, 2ndと並び, Vcの後ろにHnOb, 2ndの後ろにTpTbTimpといった配置.
CbHnObの後ろ, 真正面に配置されていた.

1曲目はシンフォニーの1 (変ホ長調, K.16).
モーツァルト8歳のときの作品である.
タクトを持たず, 甘く可愛らしく始められた.
ナチュラルホルンの音色が心地よい (改めて難しい楽器だとも思ったが…).

2曲目は「交響曲 ニ長調 K.97(47).
モーツァルト1415歳のときの作品といわれている.
山響のモーツァルトシンフォニーサイクルでは, 偽作と疑われている作品も取り上げられてきている.
今日の演奏では第2楽章の柔らかい演奏が秀逸.
この優雅で細やかな動きを聴くと, やはりモーツアルトの作品なのだろうと思ってしまう. 
続く第3楽章の短いメヌエットを挟んで, 駆け抜ける第4楽章もなんとも華やかだった.
長調・短調を自由に行き来するメロディーも心地よかった.

休憩を挟んで, レクイエム(ニ長調, K.626)の演奏.
ファゴットとバセットホルンの切ないアンサンブルから始まる (Requiem aeternam).
続く「Kyrie」が圧巻. 
合唱が本当に素晴らしい.
終わり方もcool, ゾワゾワした.
Dies irae, Tuba mirum」(古楽器のトロンボーンもやはり難しい楽器なんだなぁと思う…)を挟んで, Rex tremendae」では合唱が迫力たっぷりに歌い上げられた.
Recordare」ではソリストたちのミスが目立ってしまい少し残念.
Confutatis, Lacrimosa」は合唱がたっぷりと厚いハーモニーを響かせた.
ラストのAmenが高らかに歌い上げられなんとも心地よかった.
そしてなんといっても, Domine Jeus」で合唱団が奏でた重厚なフーガが今日の白眉だった.
仕掛けをしっかりと見せながら次々と湧き上がってくる合唱は, こちら側と向こう側を懸命に繋ごうとする まさにレクイエムそのもので, 本当に素晴らしい合唱だった.
Hostias」ではガラッと音色を変えて柔らかく合唱がうたわれた.
続く「Sanctus」は再び高らかに, そして「Benedictus」ではラスト(「Hosannna」から)の合唱がこれまた高らかに歌い上げられ心地よかった.
Agus Dei」も合唱が秀逸.
Communio」(Lux aeterna)は「Cum sanctis tuis」から続くエンディングが力強く歌い上げられ, 印象的だった.

終演は18.
長いカーテンコールが客席の熱狂を表していた.
山教アマデウスコアの魅力を改めて感じた一日だった (パンフレットにあった佐々木正利先生(山教アマデウスコア音楽監督・岩手大学教授)の解説もとっても楽しかった).

(写真は山形市・四山楼)

2/10/2015

ナガオカケンメイ ナガオカケンメイの考え


ナガオカケンメイ (2006). ナガオカケンメイの考え. アスペクト.

key word:生活, デザイン

デザイナー・ナガオカケンメイが日々考えたことをまとめた, 日記帳のような一冊.
2000年の31日から2005年の113日まで書かれた文章が, およそ400ページの分量で収められている.

面白いと思ったのは, 目に見えないものをデザインしていく彼の仕事観とその発想力.
普段デザイナーの仕事といわれて思い浮かべるのは, なにか目に見えるもの, 手に取れるもののデザインであることが多い.
しかし, 例えば彼が代表を務める「D&DEPARTMENT」では, 「変わらないもの」と「変わって行く時代」を同居させることで「ロングライフ」という言葉を定義し直したり (252), 「わざわざ」来て「日常」を買ってもらう場所としてD&Dをデザインしたり(:338)する.
そんなふうに, 彼は手に取ってみることができる商品だけを商品とはせず, 会社を, お店を, コンセプトをデザインしていく.
それはたくさんの人と会って, 意見を交わし続ける彼の生活から生まれてくる考えで, 彼の「外から考える」, つまりは「生活者と一緒に考える」(:395)というスタイルに繋がるものだ.

(↓文庫本のリンクです)