6/07/2014

Noism 劇的舞踊「カルメン」


Noism設立10周年記念 Noism1×Noism2合同公演 劇的舞踊「カルメン」
2014.06.07. 5 pm start / りゅーとぴあ 新潟市民芸術文化会館 劇場

開演前から, ステージ上手には何やら書きものをしている丸メガネに帽子の男 (旅の学者・メリメ).
傍らに置かれた蓄音機からはジプシー風の音楽が流れている.
突然大音量で奏でられた「カルメン」序曲の後で, 男は独白するのだった.
自分は今, ホセという男の物語を書いている.

まずここで観客は驚く.
Noismの舞台で, 演者がセリフを話す….

ビゼーのオペラとは違いメリメの原作である「カルメン」では, 旅する学者・メリメがホセに出会い, ホセが語った物語を学者が記すという構造になっている.
その構造に出会ったときに, この作品は言葉を用いた表現をする「旅する学者」が舞台上に(客席と舞台とを繋ぐ存在として)必要だと思ったという金森 (:公演パンフレットより).
セリフが用いられた背景にはそんな思いがあったようだ (ところで, そのメリメの役を演じた奥野晃士(SPAC)がとてもいい味を出していた (メリメと共に物語のガイド役を果たした謎の老婆「ドロッテ」(奥野のblogではメリメの妻と紹介されていた. ただし, 言葉を話すのはメリメだけ)も同じく, いい味を出していた)).

舞台が始まってしばらくして, これは いつになく "分かりやすい" 舞台(ダンスも, コミカルな芝居も)だと思ってしまう.
だが, またしばらくすると身体は, 舞踊はこんなにもメッセージ性をもっているメディアなのだ, ということに気が付く.
舞踊は言葉だ.
憎しみ, 嫉妬, , 苦悩…, たくさんの感情を言葉以上に語る.

そのたくさんの感情を, 全身で表現したのがカルメン役の井関佐和子だった.
圧倒的な存在感で観る者を存分にイラつかせた.
その一方で, 終盤のカルメンとホセの踊りは切なく, そして美しく, 涙を誘う.
ぐるぐると掻き乱される心に, カルメンの周囲の人物同様, 観ているこちらも苦しくなってしまうのだった.

闘牛場でのミカエラ(青い女)の嗚咽・号泣シーン以降, 舞台はラストに向けて加速していく (終演を迎えたとき, もう2時間も経っていたのか!という印象).
終盤, 死んだ者たちの苦悩の踊りが繰り広げられる.
その姿に慄き, 苦しむカルメン.
この踊りが圧巻だった.
舞台上には何もないというのに, 身体ひとつでなんとも壮大な物語を見せた.

その他, スクリーンに映し出される影絵の仕掛けや, 木工による素敵な舞台美術, 休憩中も客席内を歩き回るジプシーの女たちの演出など, 舞踊以外にもたくさんあった仕掛けからも, まさに「劇的舞踊」の様相が伺える舞台
舞踊でも, もちろん演劇でもない, 全く新しいアートだった. 

アフタートーク(1915分の終演後, 20時過ぎまで繰り広げられた)で, 「結果論だけど, 10年色々な角度へ突っ走ってきて, 10年の節目で一番分かりやすいものができた」と語った金森穣.
昨日(初日)は2幕と3幕との間(闘牛場のミカエラの踊り)でも休憩を挟んだことにも触れ, 公演のたびに手を加えながら, 観客により伝わるよう作品を育てているとも語った (この休憩が無かった今日の方が, ラストへの求心力とカルメンの苦悩への道筋がより伝わりやすくなったのだと思う).
そのうえで, 「もっとワクワクしたい」という金森.
次の作品も楽しみだ.

※写真は新潟市・「案山子」でいただいた「のっぺ」という新潟の郷土料理(里芋, こんにゃく, たけのこ, かまぼこ…, などをホタテの貝柱で煮て冷やしたもの)とノドグロの刺身 (大きいのは脂がキツいので, お刺身にするのは小さいやつなんだそうです). 物腰やわらかな大将がいろいろと教えてくれました

5/18/2014

大橋トリオ DELUXE BEST


大橋トリオ DELUXE BEST
2014.03.05 / RZCD 5950911/B

豪華4枚組, 大橋トリオ・初のベストアルバム.

1枚目の「スタンダードベスト」, 2枚目の「バラードベスト」もいいが, 3枚目の「カバーベスト」がとてもいい.
「贈る言葉」(海援隊)や「traveling(宇多田ヒカル), 「ラストシーン」(布袋寅泰:大橋トリオ名義では初)など発表済みの曲の他に新しく「Water is wide」も収められている.
彼が見ている/耳にしている世界が, そして彼がつくりたい音楽がよく分かるような曲の数々.

もう一枚, 4枚目はミュージックビデオを収めたDVD.
まさにデラックス!

(上の写真はお昼にお邪魔した仙台市「オジーノカリーヤ」. そして下の写真は昨日お邪魔した上山市の「HATAKE Cafe. 春です)


5/12/2014

観世銕之丞 杜若


12 東北芸術工科大学伝統館 薪能
2014.05.12 / 東北芸術工科大学水上能楽堂「伝統館」

「千鳥」(山本東次郎)と「杜若」(観世銕之丞)の2.

「杜若」は恋之舞の小書演出付き.
橋掛りに立つ杜若の精の, 水面にゆらめく炎と黄金色の唐衣.
最後, 橋掛りを帰って行く旅僧の後姿がなんとも切なくて, それはまさに一夜の夢から覚めて彷徨うさま.
水鏡に映る恋しい人の名残の向こうに, 果たして何を見たのか….

薪の爆ぜる音とその香り, そして時折吹き抜ける風が心地よいなか, そんなことを想った

5/03/2014

米原万里 心臓に毛が生えている理由


米原万里 (2008). 心臓に毛が生えている理由. 角川学芸出版.

key word:文化を跨ぐ

ロシア語通訳者であった米原万里のエッセイ集.
以前ふと目にして気になっていた文章を探していたのだが, その文章が収められていたのがこの本だった.

そのエッセイは「○×モードの言語中枢」(:106-109)という, プラハから帰ってきた日本の中学校で, 年号を答えさせるものや○×方式での回答のみ求められる歴史のテストに「正直言って、嘘じゃないか、冗談じゃないかと思った」(:107)というものだった.
その続編となるエッセイ「脳が羅列モードの理由」(:134-137)と合わせて, 多文化で育った筆者ならではの視点が新鮮で面白い.

その他にも, 「餌と料理を画する一線」(:81-84)というエッセイでは, 陶磁器ではなくプラスチックの食器が多く用いられるようになった状況を「日常的に食事のプロセスを楽しむことなどに一片の価値も見いだせない効率一辺倒な、快楽を無駄としか解釈できない精神の貧しさが、未だに日本人の食生活の、いや生き方の根底にあるのではないか。まるで発作のようにどこか落ち着きのないグルメブームの背後にも、そういうせかせかした貧乏根性が見え隠れしてならない。」(:84)と喝破する.
海外での暮らしが長かった筆者ならではの視点で, 痛快にまとめてくれる.

また, ロシア語ではあまたある褒め言葉が日本では「スッバラシイー」の一言で全て事足りて便利だといったチェリスト・ロストロポーヴィッチに触れたエッセイ「素晴らしい!」(:122-125)では, 「何しろ、『枕草子』の頃から、心を揺さぶられたおりの多様なニュアンスを、「あはれ」の一言で括ってきた伝統が、わたしたちの言語中枢に息づいている。若い御嬢さんたちが、好ましいモノすべてを、「カワイイ」の一言で片づけているのも、清少納言の延長線上で捉えれば、眉ひそめるのも躊躇われてくる。」(:124-125)という.
なるほど, 言われてみれば納得である.

エッセイの話題は多岐にわたるが, どれも愉快痛快, 面白い文章ばかりである (ちなみに本のタイトルは, 小さな差異が気になって仕方ないタイプの人は同時通訳という職業には向かない, 同時通釈者の心臓は剛毛に覆われている(省略して構わない言い回しはすっぱりと切り捨てていい)と書く同名のエッセイ(:126-129)から来ている)

※amazonでの取り扱いは文庫本のみ

4/26/2014

桑原あい the Window


桑原あい トリオ・プロジェクト  the Window
2014.04.23 / EWCD0195

ロックバンドの楽曲のように(!)始まった2曲目「"Into the Future or the Past?"」(pf桑原あい, eb森田悠介, ds今村慎太郎)はドラマチックに展開してやがてcoolでメロディックなうたになった.
はじめからぐっと引き寄せられる.
バントメンバーの相性のよさが伺える3曲目「Time window」や5曲目「Innocent reality」は聴いているこちらも思わずにんまり, そしてスッキリする楽曲だ.
フーガのようなピアノソロが圧巻の4曲目「A little weird」も素敵.
6曲目, かわいらしい小品「Empty-window」に続いて7曲目「Whether or not」はベースがcool, 10分近くある大曲 (4, 5, 7曲目のドラムは石若駿).
そしてどこか哀愁漂う響きが心地よい9曲目「Loveletters」の後は とろけるピアノバラードが印象的なラスト10曲目「Cradle.

jazzってなんなんだろう, , 当然の如くそんな一言には収まらない 桑原あいの音楽を聴きながら, 素朴にもそう思ってしまう.
3人の音遊びが存分に楽しめる1枚だ

4/19/2014

佐々木敦 シチュエーションズ


佐々木敦 (2013). シチュエーションズ:「以後をめぐって」. 文芸春秋.

key words:以前, 以降, 距離

月並みな言い方しか出来ずにもどかしいが, 佐々木敦はアーティストなのだと思う.
文と文のあいだに, 感情が溢れている.
彼の批評にドキっとし, 息苦しくなるのはそのためだ.

本書は, 「文學界」の20125月号から20138月号まで全15回連載された同名の論考を纏めたものである(:280)という.
単行本としてまとめられる際に文章は7つの章にまとめられ, それぞれ「第一章 失語に抗って」,「第二章 フィクションの臨界点」,「第三章 当事者とは誰か?」,「第四章 被災地で、海外で、」,「第五章 「以降」の小説」,「第六章 「言葉」たち」,「第七章 何ができるのか?」とタイトルが付けられている.

印象的だったのは第三章だ.
せんだいメディアテークで行われた「シネマてつがくカフェ『震災と映画』」で行われた議論をきっかけに, 文章ははじまる.
震災を機に撮られた映画についての参加者のコメントに触れたのち, 論は映画監督らの発言に及んでいく.
佐々木は, 震災を撮った映画監督ら(冨永昌敬, 舩橋淳, 園子温)の幾つもの「当事者性」に触れ (184), 「「究極の当事者」が「死者」であるのだとしたら、もう一方で、この出来事とは完全に無関係な他人、すなわち「究極の非当事者」もまた、この世界にはひとりとして存在していない」(:185)とする. 
そして, 「われわれは皆、程度は違えど幾らかは「当事者」であり、と同時に、常に中途半端な「当事者」でしかあり得ない。要するに、これが真実である」(:同)とし, 「「わたし」が「当事者」であり得るのは、究極的には「わたしであること」の他にはないのだ」(:186-187)とする.
自分自身がなによりも真実であるという至極真っ当な事実をわたしたちは何度も(でも)思い出してみなくてはならないとする, 実直な文章だ.

本書は最後, 稲川方人の「詩と、人間の同意」についての文章で締めくくられる (第七章).
稲川という詩人は知らなかったのだが, これはなんとしても読んでみたい, と思った.
それほど, それを紹介する佐々木の言葉が刺さってくるのだった.

そして最後, あとがきで佐々木はこう述べる.

------

私にとって「コミットメント」とは、あの「何が出来るのか?」という問いを自ら引き受けて、或る責任の意識と共に答えようとすること、単にそのようなことを意味しているのではない。そうではなくて、私たちは誰もが皆、それぞれの位置と座標において、望むと望まざるとにかかわらず、すでに「コミット」している/させられているのであって、まずはその事実に気づくこと、それを意識すること、そしてそれから、自らと出来事の間に横たわる「距離」を、出来る限り精確に測ろうとすること、そうしてやっと、何ごとかが始まるのではないかと思う。或いは、とうに始まっていたということが、やっとわかるのだ。(:284

------

淡々としながらも, やはり文章に感情が溢れている.
印象的な文章だ.

私たちとは誰なのか?
何が出来るのか? と問うのは誰なのか?
「思考=試行」(:283)は続く

4/05/2014

Goro Ito POSTLUDIUM release tour


Goro Ito POSTLUDIUM release tour in yamagata
2014.04.05. 7pm start / 山寺風雅の国・馳走舎

会場となったのは高い天井と大きなガラス窓が解放感いっぱいのレストラン.
ガラス張りの会場から見える外は少しライトアップされて, 雰囲気たっぷりだった.

はじめは「The Isle, Luminescence, Daisy Chain」と新譜「POSTLUDIUM」から.
山寺は2年前の徳澤青弦とのライヴ以来だというが, (チェロやフルート, うたなど)対solo楽器ではないピアノ(澤渡英一)との今回のデュオは色々できて面白い, という伊藤ゴローさん.
続く「Valsa de Euridice(ユーリディスのワルツ / 詩人でもあるヴィニシウスの作), Fotografia」(アントニオ・カルロス・ジョビン)のボサノヴァのカヴァーも, 伴奏とメロディを軽やかに交代しながら, 心地よい音楽を奏でた.

休憩を挟んで後半は, 「美貌の青空」(坂本龍一)のカヴァーから.
その後は「Obsession」(「GLASHAUS」), Plate 19」(「POSTLUDIUM」), GLASHAUS」(「GLASHAUS」), Wings」(「GLASHAUS」)と続いた.
Plate 19」はレコーディングでもピアノと2人だったということもあり, 息がぴったりだった (後半, tempoが上がって音楽が動き出してからがcool!).
ジャキス・モレレンバウムとレコーディングしたという「Wings」も哀愁たっぷりでとてもよかった.
ライヴの最後は「GLASHAUS」から「November.
切ないワルツが春の夜にぴったりだった.

ピアノと, そしてギターとも対話しているかのようなゴローさんの音楽.
朴訥と, でも柔らかく紡ぎ出されるダイアローグ.
トークからも伝わってくる, 優しい彼の人柄がそのまま表れたような心地よさがあった.

アンコールは「Estrada Branca」(ジョビン), perspective」(坂本龍一 / 「せっかく楽譜をもらったんで, もう一曲教授の曲を…」と), そして新譜から「Thyra」の3.
終演は2110, 雪が散らついた寒い春の日に, とても心地よい時間だった