佐々木敦 (2014). ニッポンの音楽. 講談社.
key words:Jポップ以前, Jポップ以降, テン年代, 「リスナー型ミュージシャン」
本書は, 「広い意味での「日本のポピュラー音楽の歴史」を、われわれが普段なにげなく使っている「Jポップ」という言葉が登場する「以前」と「以後」に、大きく二分割して論じ」 (:3-4), 「いま現在の「ニッポンの音楽」が、どうしてこのような姿になっているのか、その理由や原因があるとするならば、どこに淵源があり、いかなる経緯を経てそうなったのか、そして、ならば「ニッポンの音楽」は、今後は変わってゆくことになるのか、これから先の未来に向かって、この国の「音楽」の担い手と受け手たちは、これからどうしてゆくべきなのか、どんな道があり得るのか、ということ」(:8)について考えた本だという.
この議論の前提として, 著者には「「Jポップ」なるものが、六〇年代末に胚胎され、二十年の歳月を経て、八〇年代末に「言葉=概念」として誕生し、いつのまにか世の中にあまねく行き渡って、ほとんどこの国の音楽そのものを覆い尽くしたあげくに、そこからまた二十年を経たゼロ年代の末ごろに、いちおうの役割を終えた」(:5)という意識がある.
第一部「Jポップ以前」第一章「はっぴいえんどの物語」では, 彼らの「あからさまに非=政治的」(:22)な態度や, 「物語もなければ主題もな」く, 淡々とした情景描写のもと醸し出される「雰囲気」を重視する日本語の世界(:24)などについて書かれる.
第二章「YMO(イエロー・マジック・オーケストラ)の物語」では, 電子音を駆使した彼らの特徴(「テクノ・オリエンタリズム」(:90)の標榜と「逆輸入」(:100)のイメージ戦略)と, デビューから「散開」を経て「再生」に至る歴史がその時代背景とともにまとめられる.
第一章や第二章を読むと, なんとなくしか知らなかった人物や出来事たちが自分の中で繋がって行くようで、面白かった.
日本の音楽シーンにこんな時代があったとは, さぞスリリングだったのではないかと思う.
「~幕間の物語(インタールード)「Jポップ」の誕生~」(いまだ続いている「J回帰」などについてまとめられる)を経て, 第二部「Jポップ以後」第三章「渋谷系と小室系の物語」では, まず「九〇年代の半ばくらいまでに人気を博した」「「リスナー型ミュージシャン」の完成形」(:149)であり, 「当時のバンドブームに対する反動であり、挑戦だった」(:174)渋谷系の音楽について, フリッパーズ・ギターとピチカート・ファイヴを例に述べられる.
続いて, 「オールインワン型」のプロデュース(:212)を特徴とする小室哲哉の仕事とその異常なフィーバー(:223)や凋落について述べられる.
第四章「中田ヤスタカの物語」では, 著者が「「オールインワン型プロデューサー」の完成形」(:245)とよぶ中田ヤスタカ(Perfumeや きゃりーぱみゅぱみゅ
などをトータル・プロデュース)について述べられる.
そして結論的なまとめとして, 「内」(日本)が(目標であったはずの)「外」(海外)を孕むようになり, 「「現在」に「過去」が内包され」(:280)るようになった
いま, Jポップは終わりを迎えた(:281-282)と著者は言うのだった
(ところで, 「ニッポンの音楽」と本書における「Jポップ」がどう相違するのかは最後までよく分からなかった).
もちろんこれは佐々木によるひとつの歴史の見方で, 音楽史の見方は人の数だけあるのだろう.
読み物として面白く読めた一冊だった.