1/04/2018

志水宏吉 「つながり格差」が学力格差を生む


志水宏吉 (2014). 「つながり格差」が学力格差を生む. 亜紀書房.

key words:「つながり格差」,「社会関係資本」,「力のある学校」

筆者が援用する「つながり格差」仮説とは, 「離婚率の低さに示されるような家庭・家族と子どもとのつながり、持ち家率の高さにあらわれるような地域・近隣社会と子どものつながり、不登校率の低さに結びつくような学校・教師と子どもとのつながりが、それぞれに豊かな地域の子どもたちの学力は高い。それに対して、それらのつながりが脅かされている地域の子どもたちの学力は相対的に低い」(:17)というものである.
50年前に学力格差を説明した「都鄙格差」(都市といなかの生活環境の圧倒的な「格差」)では説明できない学力格差が生まれている (16). というのである.

序章(「つながり格差」の発見)では, 上記のような問題の背景が説明されたのちに, ピアジェとヴィゴツキーの学習感について確認され, 著者が圧倒的にヴィゴツキーの学習感(「「できる・できない」は所与ではなく、環境との相互作用によって結果的にもたらされるものである」(:24)といった学習感)が好きであることが述べられる.

1章(学力格差とはなにか)では, 「学力低下」が「実際には学力格差の拡大によってもたらされている」こと(:50)などが述べられる.

2章(なぜ学力格差が生じるのか)ではバーンステインの言語コード論やブルデューの「文化資本」概念, コールマンの学力形成と社会関係資本についての考察, オグフのジョブシーリング論などについて確認されたのち, 学力格差に影響を与える「家庭的要素は、その家庭に備わっている経済資本・文化資本・社会関係資本の3つに大別することができる」ことが述べられる.
そして, 「学力格差を是正するうえでの人間関係の積極的意義」(:115)について述べられ, 本書が問題にしているのがまさにこの点であることが指摘される (116).

3章(「つながり格差」の主張:社会関係資本と学力)では, データをもとにした詳細な議論がなされる.
筆者は, 2008年度に実施した家庭環境と学力との関係調査(政令指定都市にある小学校100校の6年生とその保護者を対象としたもの)の結果から, 経済資本と子どもの社会関係資本とは関連がない(:129)ことを指摘する.
これは, 都市部では「家庭の経済力と子どもの「つながり」とは関係しない」ということであり, 「家庭の経済をうんぬんしなくても、「つながり」を増やしていくことは十分可能であることが示唆される」(:130)ということだとう.
さらに, 「経済資本」「親の社会関係資本」「文化資本」の3つの要因が, いずれも独立して子どもの学力にポジティブな影響を与えている(:同)ことを指摘する.
つまり, 「たとえ家庭が経済的に豊かでなくても、保護者の学歴が高くなくても、子どもを取り巻く家庭・学校・地域での人間関係が豊かなものになっていれば、その子の学力はかなりの程度高いものとなる可能性が強いということである」(131).
「秋田・福井の子がなぜできるのか?」, それは「地域・学校・家庭のつながりのなかで, 子どもたちが安心感・安堵感をもって生活しており, 家族や豊かな自然, 地域社会とのふれあいがあるからだ (132), ということである.
そこで, 筆者の興味は「つながりの再構築」(:154)へと向かっていく.

4章(学校の力を探る:「効果のある学校」論)では, まずは欧米の「効果のある学校」研究の系譜がレヴューされる.
そして, 日本(大阪)における「効果のある学校」では子どもたちの学力分布が「2こぶ化」していない(:167)現状をうけ, 日本版「効果のある学校」の特徴が7つにまとめられる (171-177).
さらに, 現場の教師の声を受けて「効果のある学校」という呼び方を「力のある学校」に変えたこと(:180)などが述べられるのだった.

最後の章である5章(学力格差克服のための政策的努力)では, 大阪と福井の対照的な状況を紹介しながら, 「教育行政の役割」(:200)について検討される.
まず, 前半ではイギリスの教育政策事例が紹介される.
それを受けて後半では日本の現状が振り返られるのだが, 「新自由主義の論理のみで押してくる橋本市長の手法は、サッチャーのものにきわめて類似している。「結果を出すためには、多少の血が無かれても仕方がない」「抵抗勢力は蹴散らすのみ」。こうした政策のおかげで、大阪の現場・教師たちは悪戦苦闘を余儀なくされている。」(:236-237)ことなどが指摘されるのだった.
また, PISA2012の結果を受けて, 「日本風のやり方(=みんなでがんばる)で国際学力テストの結果が回復してきたということは、私たち日本人の「自力」を物語っている。」(:234)ことが述べられたり, 「求められているのは、集団的な努力によって子どもたち全体の学力アップを図るという日本的特質に、「しんどい層」に焦点をあて、そこに集中的に予算やエネルギーを投下して引き上げを図るというイギリスのニューレイバーの視点を組み合わせることであり」, それは「かつて大阪を中心とする関西で、同和教育のなかで育まれてきたものときわめて近い」こと(:235)などが指摘されるのだった.

あとがきでは, 著者の興味が「「学校の力」を十二分に発揮させる「行政の力」「政策の力」への着目へと、移行しつつある」(:240)ことが述べられ, 本書は閉じられるのだった.
今後の研究成果も大変気になる.

(写真は河北町・といやの肉そばプラスミニかつ丼. 甘い肉そばも, カレー風味のタレのかつ丼も, どちらも美味しかったです)