11/29/2015

茂木健一郎 東京藝大物語



茂木健一郎 (2015). 東京藝大物語. 講談社.

key words:トビカン前の飲み会, 大浦食堂事件,(ジャガーの)叔母のキャフェオレ

東京藝術大学で講義をもつことになった著者が, ジャガー, ハト沼, 杉ちゃん, ユウナちゃんら藝大生とともに繰り広げる日常を描いた作品.
講義にやってくる福武總一郎や大竹伸朗, 荒川修作, 束芋, 内藤礼ら豪華ゲストとのエピソードや, 講義後の東京都美術館(トビカン)前の広場で繰り広げられる盛大な飲み会, そこでの藝大生とのやりとりが綴られる.

「芸術、好きだったんだよね。科学者になるつもりだったけど、芸術家のことは、ずっと尊敬していた。」(:90
中盤, そんな学生とのやりとりを通じて, かつて油絵を描いていたことを告白しだす著者が描かれる.
そして, 学生の姿に昔の自分を見る著者は, 物語の終盤(芸術に果敢にも挑戦する若者たちを静かに応援しながら)こういうのだった.

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青春とは、浪費される時間の中にこそ自分の夢をむさぼる行為ではなかったか。
偉大なる暗闇は、この上なく輝かしい生命の光にも通じる。
芸術のゆりかごは、その薄暗がりの中に、こっそり、ゆったりと揺れている。(:203

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なんだか少し懐かしい気分になりながらも, すっと読める一冊だった.

(夜にお邪魔した上山市「あべくん珈琲 豆と麦と」. 丁寧に淹れられた珈琲にホッとします)

11/28/2015

山折哲雄 危機と日本人


山折哲雄 (2013). 危機と日本人. 日本経済新聞社.

key words:グレーゾーン, 日本

第一部「危機と日本人」は201234日から1028日付の日経・日曜朝刊に連載されたもの, 第二部「グレーゾーンの中を生き抜く」は産経新聞やその他の新聞に掲載されたエッセイを集めたものである.

第一部では, 土下座に見え隠れする巧妙な政治を書いた「土下座の心構え」(24-27), 福島原発をめぐる報道における「犠牲」と「ヒーロー」というふたつの言葉の使われ方について論じた「犠牲から目を背けるな」(72-75), 岩手県大船渡市で医師として働く傍らケセン語による聖書訳を刊行している山浦玄嗣さんについて書かれた「言葉があまりにも軽くなっていないか」(:96-99)などが印象的だった.

第二部では, 西欧社会が無常という原則にたいし拒否的な態度をとりつづけてきたことを指摘する(そのうえで日本は「この先、不安と危機感をあおり立てる短期的な経済予測に、いぜんとして翻弄されつづけるのか。それとも景気循環=無常の原則に立って長期的な展望をもち、この事態(世界的な金融経済不安)に冷静に対処するよう努力していくのか」(:163)と問う)「経済は好調のときもあれば、暗転するときもある」(158-163), 日本の平安時代と江戸時代においてみられた長い平和の理由を政治と宗教の間にじつに良好なバランスがとれていたからではないかとする「国家と宗教の相性が良かった日本」(154-157), 大震災と津波によるがれきの受け入れ先が見つからないなか選ばれた今年の漢字が「絆」であったことに事態の深刻さを憂う「人間の「絆」の礎となるもの」(206-209), 「最悪の事態に備えるという合言葉のもとに、われわれの生存の現実がそもそもグレーゾーンの中にあるという常識が打ち消されていく」ことを論じた「生存の現実はグレーゾーンの中にある」(:216-219)などが印象的だった.

80歳を越える著者であるが, 相変わらずの鋭い視線にハッとさせられる数々が収められている.

(写真は遊佐町の家カフェBioの「本日のBioランチ」. 肉・魚・卵・乳製品・白砂糖・化学調味料を一切使わないご飯. 席からちょうど鳥海山が見える素敵な眺めとともに美味しくいただきました. そして, 近くのパン屋さん「BAKU麦」さん閉店のお知らせが…)

11/26/2015

トリスターノ ピアノリサイタル


フランチェスコ・トリスターノ ピアノリサイタル
2015.11.26. 7 pm start / りゅーとぴあ新潟市民芸術文化会館コンサートホール

長身にすらっと細く長い脚….
一見ピアニストには見えない容貌だが, 胸に手を当て深々とお辞儀をしたあとに始まった最初のパルティータ第3番(イ短調BWV827)から面食らう.
なんというか, 飾らず すぐそこにある音楽, なのだ.
バッハの音楽が違和感なくそこにある.
脱力してぺダルも使わずものすごく自然.
耳元でぽろぽろ弾いているような音楽だ.
かといって, 決して平たんな響きではない.
生き生きとしたリズムはまるで遊んでいるかのよう.
まさにバロック.
きっとこの時代の音楽はこういうことだったのではないかと思わせるような演奏だった.

2曲目はトリスターノ作曲の「Kyeotp.
水に反射するやわらかな光のような音楽.
とても美しい.
曲はやがて激しいダンスへと変わり, 内部奏法も使ったインプロのcoolな響きが続く.
そして, 最後の音を残したまま, 次のプログラムであるパルティータの第1番が始められた.

なんとも美しい始め方.
続く一曲目のプレリュードが秀逸.
やさしくやわらかな響きに満ちた幸せな音楽に引き寄せられた.

ラストのジーグに続いて, 間を入れずJ. ケージの「ある風景の中で」が始まる.
パンフレットではケージの前に休憩が予定されていたのだが, トリスターノの意向で変更になったという.
その意図がよく分かるような, 効果的で印象的な静かな始まり方だった.
ステージの照明もゆっくりと落ちていって, それはまるで夜の帳が下りるかのよう.
こんなにも気持ちのよいピアノは久しぶりだった.

20分間の休憩を挟んで, 後半はパルティータの第6番から.
前半のふたつのパルティータとはうって変って, 一曲ずつ間をたっぷりととって演奏される.
駆け抜けるパッセージ(決して力むわけではない)と染み入ってくる短調の響きがバッハの音楽を存分に引き立たせる演奏だった.

本日ラストはストラヴィンスキーの「ペトルーシュカの3章」.
先程の透明なバッハを弾いた人物とは別人のような, 激しくアグレッシブな演奏が続く.
1曲目「ロシアの踊り」はピアノ一台だというのに, なんとも色とりどりで華やかな演奏.
2曲目「ペトルーシュカの部屋」はモノローグ的な, 内側へと向かっていく部分の音色がことさら美しかった.
そして最後の3曲目「謝肉祭」は技巧的で大変な難曲.
超人技の数々を疾走感たっぷりに, ドラマチックに弾き切った.
曲の面白さを存分に伝える解釈と演奏だったと思う.

アンコールはオリジナルの「ラ・フランシスカーナ」.
繰り返されるリズムと憂いを帯びた響きが中毒性のある不思議な音楽.
長大なcresc.に吸い込まれるようだった.

終演は21.
平日の開催に大雨が重なって空席が目立ったことだけが残念だった.

フランチェスコ・トリスターノを最初に聴いたのは, ベリオを演奏したCDだった.
最初は, ベリオの全ピアノ作品を演奏したということに興味があって聴いたのがきっかけだったがそれ以来大好きなピアニストの一人になっている.
アリス=沙良・オットとのピアノ・デュオでも活躍しており, CDSCANDALE」ではcoolな自作曲「A soft shell groove」と, 「春の祭典」や「ラ・ヴァルス」のトロピカルな演奏が印象的だった
今後の活躍も楽しみなアーティストである

11/25/2015

グラスホッパー


映画「グラスホッパー」
監督:瀧本智行 / 2015

山形市・嶋の「MOVIE ON やまがた」へ.

正直, 想像してものとは全く違う映画だった.
「ジャニーズがアクション映画やりました」ってとこに残念ながら主眼が置かれてしまった作品.
絡まり合う3人(元中学教師・鈴木:生田斗真, 自殺屋・鯨:浅野忠信, ナイフの殺し屋・蝉:山田涼介)のストーリーは映画ではあまり伝えられず, これでははっきり言って伊坂作品をシナリオに使う意味があまりないと思ってしまった.
ミステリーの要素をもっと伝える方法は無かったのだろうか….
人間の物語としても, 蝉のしじみの泡のエピソードや, 鈴木(と婚約者)のタイムカプセルのエピソードも出ては来るものの, 中途半端な印象を否めなかった.

11/22/2015

大崎

宮城県は大崎市へ.

その前に, それならここに寄ってと教えてもらった加美町のお店「GENJIRO」へ.
森に囲まれた雰囲気のいいお店は既に満席.
待っている間, 庭の林道を散歩.
気持ちいい.


絞りたてだという牛乳のあとにいただいたのは, りんごとワイン味のチキンのオーブン焼き.
柔らかいあつあつのお肉にかぶりつく!
焼きリンゴもほろほろで甘い.
マッシュポテトと全部いっしょにピタに挟んでいただけば, あぁ, 夢心地(笑)….
(お土産に買って帰ったレモンケーキもとっても美味しかったです)


大崎市では, 30回大崎バルーンフェスティバルが開催中.
青い空に熱気球が綺麗.


感覚ミュージアムは色んな仕掛けがあって, 子どもとっても楽しそう.
こんなミュージアムがあったんですね.

のんびりした一日でした.

(帰りは中山平温泉・しんとろの湯(源泉かけ流しの日帰り浴場)へ. ホントにとろとろのお湯!少し熱め(43.7℃)だけど, 心地よかったです~)

11/01/2015

よしもとばなな 人生の旅をゆく2


よしもとばなな (2012). 人生の旅をゆく2. NHK出版.

key words:くらし, 変わるものと変わらないもの, 変えてはいけないもの

よしもとばななが変わったのか, それとも読むこちら側が変わったのか…, どちらか分からないけれども, そんなことを思う.
彼女の作品は, 鮮やかな描写が印象的だった初期の作品(のみ)を好んでいたのだけれど, この間 読んだ「鳥たち」以来, 彼女のここ数年の文章が気になって読んでいる.
これがなんだか心にすっと入ってくるのだ.

「人がよりこだわりをなくし、より幸せに、気楽に、それでもよりその人らしさを、命を燃やして生きるにはどうしたらいいんだろう?」
「人がこの世を去るときに、悔いがないと言えるためにはどうしたらいいのだろう?」

そんなことが しつこく詰まったエッセイなのだ, と筆者はあとがきでいう (312).

本書は, 「十七年も生きた愛犬が亡くなり, その後すぐに震災があり, 翌年父が亡くなり……」そんな二年間に書かれたさまざまなエッセイが集められたものだ (310).

よしもとはいう.

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一歩外に出たら、いや、実はうちにいても、人生はいつどこでなにがあるのかわからない。このあいだ会えた人ともう会うことがないことなんて、あたりまえのことなのかもしれない。かといってぎゅっと握っていたら、なにもできない。そのさじかげん。風に乗る、波に乗る。判断する。そんな本能をいつでも研ぎ澄ませておく。ぎらぎらと、たまにはのんきに。(:30

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なにも恰好つけているわけではなく, 心の底からそういうのだ.

そして, 例えば ほんとうに具合が悪いときでさえ,「もし具合が悪くなかったら、私はきっともっとこういうことをするだろうに!」と思っていた自分を振り返り, 「でも、それがおかしなからくりだということに気付いた」と素直にいう (35).

また, 震災を経た心境の変化をよしもとは, 「あれから、愛する人たちに心で手で目で触れることが、少しこわくなった。」(:199)といい, 「昨日までの人生はよくも悪くももう二度と戻ってこない。深く強くそう感じた」(:215)という.

そんな, なんというか「白い」文章が本書にはたくさん収められている.
それが心にすっと入ってくる理由だろうか.

読み終えて, 密かに, でも確かに勇気をもらう一冊だ.

(写真はこの間お邪魔した鶴岡市「知憩軒」. 落ち着く, あたたかい料理)