よしもとばなな (2014). 鳥たち. 集英社.
key words:気体に近い野菜, カチナロックと呼ばれる岩山, 末永教授
十数年前, 「ハチ公の最後の恋人」になんだか息が詰まってしまって
(どんな話だったか正直忘れてしまったのだけれど…), それ以来ずっと読まずにいた
よしもと(吉本)ばなな.
それが今年, 引越の荷物整理をきっかけに「キッチン」を読み返してみると, すっと水を飲むかのように綺麗な物語で, なんだかいいなぁと思っていたところに青葉市子さんがライヴで本作を紹介されたことなどが続いて…, 読み始めた一冊.
小さいころ, それぞれの母親と大切な人を(ほぼ)一度に失った
まこと嵯峨.
物語の前半を占めるのは, そんな二人の「いきのこり」という感覚だ.
自殺という形で母親を失い, この世にはもう自分と嵯峨の二人しかいないと思う
まこは, 過去に強く囚われながら生きている.
「どんなに確かに見えたものも簡単に、あっという間になくなる様を私たちは見すぎてしまった」(:25)と, 日本に帰ってきて大学生となっても世界を信じることができず, 信じられるのは嵯峨だけだと強く思っている.
そのため, まこは子どもが欲しいと頻りに嵯峨へ告げる.
その背景には, どうしようもない寂しさ, あるいは嵯峨との繋がりの保障, そして母親(たち)の生まれ変わりを産まなければという気持ちがあるのだった.
そんな
まこに, 大学のゼミの末永教授があたたかく, 優しく語るシーンがある.
「もう、これまでの物語を忘れて、今の自分たちの物語を普通に営んでいいと思う。もちろん、墓守として愛した人たちを悼みながら」(:175)と.
その言葉に
まこはこう応える.
「今、はじめてほんとうに理解しました。過去は過去だということを。そして、単純に過去の上に今があるのではないということを。もっと、立体的な……鳥が俯瞰するみたいな、そんな気持ちでした」(:同)と.
素敵な言葉に包まれた, 印象的なシーンだった.
そして, 世界には自分と嵯峨しかいないと思っていた
まこが, 日常の何気ない生活や優しい人たちとの関わりを通じて, 次第にそんなことはないのだと気づきながら未来の話を始めるラスト(:196 - 201)はなんとも爽やかで, 光に満ちていた.
よしもとばなな
は あとがきでこう述べる.
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多分この小説は、昭和の偏屈なおばさんから平成の偏屈なおばあさんへと移行していく過程での私が全身で見聞きした「日本が病んで終わっていくことに抗う表現を細々と続ける」全ての表現者への「応援そして評論」のようなものなんだと思っています。(:204)
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ダ・ヴィンチ(12月号:55)では「自分の読みたいものを書くという新たなジャンルに突入」して書いた小説だ, とも言っていた よしもとばなな.
歳を重ねたうえでの応援.
詩のような, やわらかい絵のような…, そんな作品だった.
詩のような, やわらかい絵のような…, そんな作品だった.