横山芙美編 (2014). ユリイカ9月臨時増刊号:第46巻第10号(通巻648号)総特集☆イケメン・スタディーズ.
青土社.
keywords:つくりあげられるイケメン, 眼差しの変化
本特集は, 「イケメンという言葉が一般化していく九〇年代末~二〇〇〇年代に、男性(とされる者)のどのような容姿が「イケてる」とされてきた・いるのかを、様々な言説や表象に即して検討するもの」だという (:8).
巻頭言(「イケメンであるとされるということ」:8-9)で千葉雅也は, 現在はいわば「ポスト・イケメン」の状況に入っており, 「男性の〈眼差しの客体〉化が(少なくとも大衆文化において)常態になったことを示唆しているのではないだろうか」(:9)と指摘する.
本誌にはMEN'S NON-NOモデルやジャニーズから, イケメンプロレスラー,
2.5次元まで, さまざまな「イケメン」をめぐる論考が収められている.
なかでも, 千葉と同様の指摘から「イケメン」という語の使われ方を検証し社会の「イケメン化」について論じた前川直哉(「イケメン学の幕ひらくとき:「社会のイケメン化」をめぐる現代史」:26-34)の文章が面白かった.
男性の「見られる客体化」の歴史や, 社会が「イケメン化」していった仕組みを前川は暴いていくが, 「従来のジェンダー・ヒエラルヒーの上に「社会のイケメン化」が進行する
事態は、女性の「美への疎外」を温存し(「男だって見られているんだから」)、時に促進する(「男もおしゃれするのに、なぜ君はしないの? それでも女なの?」)危険性を有している」(:33)と最後に述べる.
なるほど, この事態を決して手放しで言祝ぐことはできないというわけだ.
本誌のさまざまな論考を読んでいると, 「イケメン」は要求であり呪縛であり, それに関わるやり取りはかなり高度な政治だなぁ, とつくづく思う.
「イケメン学」が今後どんな社会を描くのか, 読めば読むほど分からなくなるのだった.
(今夜はスーパームーン. 黄色い大きな月!)