12/06/2013

今日子と修二の場合


今日子と修二の場合(@フォーラム仙台)
企画・制作・監督 / 奥田瑛二(2013年・日本)

2000年に監督としてデビューした奥田瑛二の, 5作目となる作品 (スタッフ5人の会社で, メジャーの20分の1くらいの宣伝費でやっている映画なのだという).

震災を軸に物語は進んでいくが, その中心にあるのは(震災に関係なく)以前から存在していたであろう人と人とのすれ違い, 失われた居場所, こころの問題だ.
映画タイトルである「今日子と修二の場合」が表すのは, 「今日子(:家族のため, 保険外交員の仕事を続けるべく, 他人に体を許し故郷を追われた女)の場合」と「修二(:母親を守るために暴力的な父親を殺害してしまい, 少年院から出所後町工場で働きはじめた男)の場合」, 交わることは無い2人のcaseである.

どことなく小津安二郎を思わせる, 話し手を真っ直ぐに見据える独特のカメラワークが印象的.
パッと切り替わる画面によって独特な間が生じることになるが, それが物語の緊張感をさらに高める.

上映後のトークで奥田瑛二監督は, 震災に際して映画人としてやるべきことはフィルムを回すことしかないと思い, この映画を撮ったのだと話した.
そう決心したのは震災後の1月に南三陸に行ったときで, すぐにこの光景をフィルムに収めなければと思い立ち, 東京への帰りの8時間ですぐにストーリーを考えたのだという.
その他, 実の娘である安藤サクラに主役が変更になったあと, 彼女にはほとんど演出をせずに好きにさせた (柄本佑にも)というエピソードも明かしてくれた.

最後に, フロアにいた, 知人を津波で亡くしたという女性が「当時のあの空気, 感触を是非残してほしいと思っていた. ありがとう」と発言すると, 監督は涙ながらに, 実は怖かったのだが東北に来ることが出来て良かった, 被災地を回る勇気も湧いてきた, と語ったのが印象的だった.

さて, これは希望の映画か?
修一と今日子, それぞれが始めた歩みに込められたのは, 絶望の中に差し込む一筋の光か, それとも, 希望を見つめてなおやはり絶望へと戻らせる決別か.
"Case of Kyoko", そして "Case of Shuichi" , その他にも人の数だけの "Case" がある.
これをきっかけに, 観た人が自分の場合について考え語り始めるかもしれない…, そんな映画だった.