土門拳と土門拳賞受賞作品展
2013.01.04 - 04.07 / 土門拳記念館
1982年の第1回(三留理男「ケニア飢餓前線」他で受賞)に始まり, 2012年には第31回(高梨豊「IN’」)を迎えた土門拳賞.
その受賞作の中から, この企画展には第19回 (金村修「BLACK
PARACHUTE EARS 1999」), 第20回 (大石芳野「ベトナム凛と」), 第21回 (百瀬俊「東京=上海」), 第22回 (広河隆一「パレスチナ」), 第23回(鬼海弘雄「PERSONA」), 第24回(坂田栄一郎「PIERCING THE SKY:天を射る」)の賞を得た作品のセレクションが展示されている. 印象的だった作品は, 最初に展示されていた金村修と, 土門の仏像に囲まれながら展示されていた百瀬俊哉の作品であった.
都市の風景をモノクロで切り取る金村の作品は, 不思議な静寂と空気感を備えている.
静かな画面であるが, そこからは生活や人の記憶がじんわり, ゆっくり浮かび上がってくるようだ. 珍しい風景ではないはずなのに, まるで初めて目にしたかのように新鮮である.
そんな不思議を感じる写真であった.
「僕が求めている写真とは都市や人間社会の本質を写すハイパーリアリズムなのである。」
という百瀬俊哉が写すのは, 空っぽになった街. 画面に人間は写っていない.
人間がいなくなった街は, ようやく本当(本来)の姿を現したかのよう.
誰もいないが, 熱があり, 想いがあり, そして人の記憶がある.
キラキラした夢のような街の姿は, 人間がつくったものであるはずなのに, どこか人間離れした世界のようにも見えた.
さて, こうして受賞作と土門の作品をいくつか見て, 改めて思う.
写真におけるリアリズムとはなにか.
土門はいう.
大事なのはよく見ることだと. 対象の本質がはっきりするまで, じっと, よく見ることだと.
そうして映し出された写真は, 網膜に図像として結び出された画像そのものを通り越して, その背後にある/あった多くのものを香らせる.
写っていないものまで見せる術. 何度も何度でも見たいと思わせる写真には, そんな不思議があると思っている.