馬渕仁編著 (2011). 「多文化共生」は可能か:教育における挑戦. 勁草書房.
key words:多文化共生, 多文化教育
「多文化共生は可能か」.
直球ストレートに問うタイトルが印象的な本書は, 「多文化共生」という言葉がこれほど多用されるようになった実態とは裏腹に, そこで説かれ, めざされる理念と実際の社会は大きく乖離したままではないのか, との率直な疑問(:ⅰ)から編まれたものだという.
本書には8本の論文と, 巻末に「多文化教育・多文化共生教育に関する邦語文献目録」が収められている.
以下, 3つに分けられたセクションごとにその内容をまとめる.
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第Ⅰ部 政策・カリキュラムと現場
第1章 多文化共生社会をめざして:異文化間教育の政策課題(山田礼子)
本論は, 政策課題に学会(異文化間教育学会)がどのような役割を果たすことができるのかについて考察(:3)したものである.
その研究の背景には, 「21世紀型市民の育成を前提として, 高等教育の分野においても「多文化, 異文化の知識の獲得」が到達目標として掲げられているにもかかわらず, その内実はあくまでも国際競争への対処という視点のみが意識されているのではないかという問題意識」(:同)があるとし, 山田は, それだけではない, 総体としての異文化間リテラシー(:17)を普遍化するために, 研究や実践と政策との接点をどう見据え, つなげていくか(:18)考えていく必要があるとする.
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第2章 多文化共生をめざすカリキュラムの開発と実践(森茂岳雄)
森茂は, 多文化共生にむけた教育においてしばしば不可視の存在にされるマジョリティへの教育について, 日本の学校の持つ支配的な価値(日本的学校文化)を相対化し (:23), 包括的な学校環境の中からマジョリティの児童生徒を含むすべての子どものためのカリキュラムを開発することの重要性を指摘する (:同).
そして, カリキュラム構築に伴うある種の「標準化」における差別・抑圧構造の隠蔽が行われないようにするためにも, 「批判的多文化主義」(critical multiculturalism)の考えに立つカリキュラム開発が大切だとする (:38-39).
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第3章 権力の非対称性を問題化する教育実践:社会状況とマイノリティ支援の関係を問う(清水睦美)
清水は, 「問題の個人化」と称される外国人の子どもの問題を彼ら/彼女ら個々の問題だとする支配的な言説が日本の学校にはある(:43)と指摘することから論をはじめる.
そして, 「文化的差異の強調」が「支配関係や差別関係の隠蔽」を回避し, 既存の社会における「差別・抑圧の構造」を問題化する教育実践の可能性はあるのか, と問う (:45). その問題に対して清水は, 日本の学校では「文化を鑑賞の対象としてしまう」ような教育実践(:46)がありがちだとし, そこに留まらずに「差別・抑圧の構造」が存在することを理解することで, 外国人の子どもたちの問題を「個人化」しない教育実践が生み出される可能性が拓かれる(:48)と指摘する.
一方で, 「差別・抑圧の構造」を見据え, それを変革することを試みる教育実践であっても, 「学校」という場は, 教師の認識の変化によって容易に変わるものではなく, 新たな実践によってより深く刻まれた「支配関係や差別関係の隠蔽」が浮かび上がり, その特質を捉えて, さらにその変革を試みるという終わりのない営みが必要である(:53)という.
「多文化共生」は可能か―教育における挑戦