馬渕仁編著 (2011). 「多文化共生」は可能か:教育における挑戦. 勁草書房.
key words:多文化共生, 多文化教育
※前回に続き…
第Ⅲ部 「多文化共生」は可能か
第7章 「共生」の裏に見えるもう一つの「強制」(リリアン・テルミ・ハタノ)
ハタノは, 「多文化共生」が謳われる一方でここ数年, 外国人に対する政策としての「強制」が明らかに進んできた(:127)と鋭く指摘する.
入国審査時の指紋押捺や在留管理制度の導入などに触れ, 日本社会は経済の分野ではグローバル化してきたものの, 「人権尊重」や「人間の尊厳」という普遍的な概念に関しては, まだまだグローバルな基準からはかけ離れた状況にある(:133)というハタノは, グローバル化した世界においては人権の普遍性, そして「国民の人権」と「外国人の人権」の連続性, 共通性に敏感であることこそが, 豊かな暮らしを生む土台に違いない(:146)とし, そうした認識と実践がこれからの課題だとする (:同).
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第8章 共生への活路を求めて(馬渕仁)
馬渕は本書に収められた7つの論文をレヴューしたうえで, これらの問題への活路を見出すには, 制度的な変革は不可欠ではないか(:153)と改めて問う.
たしかに, 本書に収められた論文はどれも制度的な変革の必要性を指摘するものであった.
ウチとソトとを区別する日本社会において, どうやって問題を全員のものとして捉え制度改革していくのか考えていくことは, 今後避けては通られない課題であろう.
さらに馬渕は, マジョリティを巻き込んだ多文化教育や多文化共生コミュニケーション能力の育成に触れ, 当事者意識の問題がもうひとつの大きな課題だとする (:154-155).
馬渕はこの問題は大変難しいものだとしながらも, 「このままではやっていけない, 生きにくい」という「居心地の悪さ」を多くの人たちと共有することは可能かもしれない(:155)と, その問題に一筋の光を当てる.
たしかに, 痛みを共有するまではいかなくても, 困り感を共有することは可能である.
これまで見て見ぬふりをされてきたマジョリティへの意識改革についても, 今後の大きな課題となるだろう.
加えて馬渕は, 経済界など政策決定過程への影響が大きいアクターへの働きかけの検討(:168)などの戦略を掲げ, 論を閉じた.
本書「はじめに」で馬渕がいうとおり, これらの問題への取り組みは現在進行形のものである (:ⅴ).
同じく馬渕がいうような「共生」を「仲良くしましょう」の単なる言い換えに留めている現状(:ⅳ)を打破し, 現実社会をアクチュアルに変えていく方策(それは構成員すべてに関わるもの)を早急に探ることが求められている. 「多文化共生」は可能か―教育における挑戦