9/29/2012

馬渕仁 「多文化共生」は可能か③


馬渕仁編著 (2011). 「多文化共生」は可能か:教育における挑戦. 勁草書房.

key words:多文化共生, 多文化教育

※前回に続き…

第Ⅲ部 「多文化共生」は可能か

7章 「共生」の裏に見えるもう一つの「強制」(リリアン・テルミ・ハタノ)

ハタノは, 「多文化共生」が謳われる一方でここ数年, 外国人に対する政策としての「強制」が明らかに進んできた(:127)と鋭く指摘する.
入国審査時の指紋押捺や在留管理制度の導入などに触れ, 日本社会は経済の分野ではグローバル化してきたものの, 「人権尊重」や「人間の尊厳」という普遍的な概念に関しては, まだまだグローバルな基準からはかけ離れた状況にある(:133)というハタノは, グローバル化した世界においては人権の普遍性, そして「国民の人権」と「外国人の人権」の連続性, 共通性に敏感であることこそが, 豊かな暮らしを生む土台に違いない(:146)とし, そうした認識と実践がこれからの課題だとする (:同).

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8章 共生への活路を求めて(馬渕仁)

馬渕は本書に収められた7つの論文をレヴューしたうえで, これらの問題への活路を見出すには, 制度的な変革は不可欠ではないか(:153)と改めて問う.

たしかに, 本書に収められた論文はどれも制度的な変革の必要性を指摘するものであった.
ウチとソトとを区別する日本社会において, どうやって問題を全員のものとして捉え制度改革していくのか考えていくことは, 今後避けては通られない課題であろう.

さらに馬渕は, マジョリティを巻き込んだ多文化教育や多文化共生コミュニケーション能力の育成に触れ, 当事者意識の問題がもうひとつの大きな課題だとする (154-155).
馬渕はこの問題は大変難しいものだとしながらも, 「このままではやっていけない, 生きにくい」という「居心地の悪さ」を多くの人たちと共有することは可能かもしれない(:155)と, その問題に一筋の光を当てる.

たしかに, 痛みを共有するまではいかなくても, 困り感を共有することは可能である.
これまで見て見ぬふりをされてきたマジョリティへの意識改革についても, 今後の大きな課題となるだろう.

加えて馬渕は, 経済界など政策決定過程への影響が大きいアクターへの働きかけの検討(:168)などの戦略を掲げ, 論を閉じた.

本書「はじめに」で馬渕がいうとおり, これらの問題への取り組みは現在進行形のものである (:ⅴ).
同じく馬渕がいうような「共生」を「仲良くしましょう」の単なる言い換えに留めている現状(:ⅳ)を打破し, 現実社会をアクチュアルに変えていく方策(それは構成員すべてに関わるもの)を早急に探ることが求められている.

「多文化共生」は可能か―教育における挑戦

9/22/2012

OGRE YOU ASSHOLE 100年後


OGRE YOU ASSHOLE 100年後
2012.09.19.released / VPCC81747

「意味するもの」としてのテキスト(言葉)と,「意味を運ぶもの」としての声の相性というものがある.
オウガはその相性がとてもいい.
出戸学が書く独特な世界は彼の優しい声と合わさって, オウガの音にゆったりと溶け込む.
1年ぶりにリリースされたニューアルバム「100年後」では, その心地よさを存分に味わうことができる.

1曲目「これから」, 2曲目「夜の船」, 7曲目「記憶に残らない」, 8曲目「泡になって」がいい空気感をもっている.
とくに「夜の船」のルードさがいい.

井出はうたう.

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はずれて進んだ夜の船
灯りを見つけ出て行く
求めることはないが
繰り返した日々のように進む

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虚しさや切なさを纏いながらもそれでも優しく届くのは, 彼の柔らかい声があってこそ.

ずっとループで聴いてしまう, 中毒性があるアルバム.
寒くなっていくこの季節に, そっと寄り添ってくれる音楽なのだと思う.

100年後

9/14/2012

ヤング@ハート Live in JAPAN 2012


ヤング@ハート Live in JAPAN 2012
2012.09.14 / りゅーとぴあ 新潟市民芸術文化会館 劇場

ドキュメンタリー(DVD)を観てから, ずっと気になっているバンドがあった.
それがヤング@ハートだ.
今回, 念願叶ってその公演を観ることができた.

ステージに上がったヴォーカル・メンバーは24.
73歳から90歳までのヴォーカリストたちだ.

ライヴはおじいちゃんがリードを務める「へブン」からスタート.
平均年齢81歳の合唱隊が「ヘブンには何もない」とうたう (天井から吊り下げられた6つの小さなマイクが, コーラス隊のうたもちゃんと拾う).

ライヴはオムニバスの形式で構成されていて, 様々なジャンルの楽曲でそれぞれがsoloをとっていくのだが, どれも味があっていい.
多少ピッチが外れようが, 声が震えようが, そんなことはどうでもいい.
長年纏ってきた声というものは, やはり魅力的だ.

ライヴの中盤, ロックンロールから一転, おばあちゃんが優しく歌ったのは「上を向いて歩こう」(日本語で!)だった.
こんなに切なく逞しいうただったのか.
おばあちゃんがうたうと, このうたもあたたかい説得力を帯びる.
ぴったりではないか.
日本語のうたはさらに続き,「リンダリンダ」, 「雨上がりの夜空に」がうたわれ, ライヴは前半を終了した.

青いシャツから黒い衣裳に着替えて, 後半はjackson5の「I want you back」からスタート.
リードを務めたおじいちゃんが見せたムーン・ウォーク(っぽいステップ)が可愛らしかった.
ライヴ後半もロックからブルース, ゴスペルまでさまざまなジャンルの音楽がうたわれる.
杖をついたおじいちゃんのラップも素敵だった.

終盤, ステージにはスクリーンが登場し, ドキュメンタリー映画の一部が映された.
見覚えのある顔が映る (以前DVDで観た). 
この30年でメンバーが3, この世を去ったことが告げられ, 彼ら・彼女らのためにうたう, とのアナウンスがある.
そして, さっきまで座っていたおじいちゃんが立ち上がり, マイクを握りしめて叫ぶ.
I feel good!」と.
最高にcooool.

続けて, 「トキオ」, 「ファンキー・モンキー・ベイビー」と, 日本語の曲も披露された (「トキオ」では「トキオ」を「ニイガタ」に変えて!).
最後にマイクをオフにして歌われたのは「forever young.
2時間しっかりうたわれたライヴの最後にぴったりな曲だった.

ヤング@ハートは1982年にアメリカで結成されたコーラス隊(ヴォーカリスト集団)である.
ボブ・シルマンが音楽監督と指揮を務め, そのレパートリーはロックからブギウギ, R&Bまで幅広い.

さて, 日本でもたとえばアートデリバリーの活動や, 最近ではアートリバイバルコネクション東北高齢者との学び合い事業など, 高齢者とともに行うアート活動が行われつつある.
しかし, そこでは(高齢者ではない)アーティストが高齢者を「サポート」する, というスタンスがやはり多く (もっとも, ARC>Tの場合はコンテクストが少し異なるが…), 高齢者側からの積極的な発信はまだまだ少ない.
でも, ヤング@ハートを見る限り, お年寄りたちは若者の力を借りなくとも全然元気だ.

老いや死が側にありながらも, ヤング@ハートがネガティブさを感じさせないのは, お年寄りたちが何よりもうたが好きで, 楽しんでいるからだろう.
うたっているメンバーは皆とってもキュートだ.

どんなふうに音楽と付き合って, どんな選択をして, どんなふうに生きるのか.
それは全て, 一人ひとりに任せられている. 
でもそれはなにも心細いことではない.
こんなにも逞しく, 楽しいことなのだ.
そんなことを考えさせるライヴだった.

ヤング@ハート [DVD]

9/09/2012

馬渕仁 「多文化共生」は可能か②


馬渕仁編著 (2011). 「多文化共生」は可能か:教育における挑戦. 勁草書房.

key words:多文化共生, 多文化教育

※前回に続き…

第Ⅱ部 可能性への模索

4章 多文化共生をどのように実現可能なものとするか:制度化のアプローチを考える(金侖貞)

金は, 多文化共生を実現可能にするためには, それを「実践的概念」として捉え直すことと, 「制度化」していくことが必要(:65)だという.
そのうえで, 歴史的に研究実績のあるオールドカマーに対する研究を参照し, ニューカマーとオールドカマーの連続性を「共生」を切り口に考え, 多文化教育を「断続的」でない「連続的」なものとして捉え(:69)ようとする.
なぜなら, 多文化共生を制度化, 政策化していくことが必要なのは, 現にオールドカマーの問題がそのままニューカマーに再生産されている現状があるから(:74)だという.
そして, 金は「多文化共生を具現化していくために, 問題の再生産構造を是正し, 多文化共生の「他者」としての日本人の存在を位置づけるために, 多文化共生を制度化していくことが求められる」(:同)とし, ①オールドカマーとニューカマーにかかわる研究や実践の連携を図ること (78), ②多文化政策という総合的なフレイムワークの構築における研究者のコミットメントのあり方を考えること (79), ③外国人のアイデンティティ及び集団形成における「文化」の位置づけを見直すこと(:80)などの提言を行う.

「多文化共生」は可能か―教育における挑戦

9/01/2012

馬渕仁 「多文化共生」は可能か①


馬渕仁編著 (2011). 「多文化共生」は可能か:教育における挑戦. 勁草書房.

key words:多文化共生, 多文化教育

「多文化共生は可能か」.
直球ストレートに問うタイトルが印象的な本書は, 「多文化共生」という言葉がこれほど多用されるようになった実態とは裏腹に, そこで説かれ, めざされる理念と実際の社会は大きく乖離したままではないのか, との率直な疑問(:ⅰ)から編まれたものだという.

本書には8本の論文と, 巻末に「多文化教育・多文化共生教育に関する邦語文献目録」が収められている.
以下, 3つに分けられたセクションごとにその内容をまとめる.

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第Ⅰ部 政策・カリキュラムと現場
1章 多文化共生社会をめざして:異文化間教育の政策課題(山田礼子)

本論は, 政策課題に学会(異文化間教育学会)がどのような役割を果たすことができるのかについて考察(:3)したものである.
その研究の背景には, 21世紀型市民の育成を前提として, 高等教育の分野においても「多文化, 異文化の知識の獲得」が到達目標として掲げられているにもかかわらず, その内実はあくまでも国際競争への対処という視点のみが意識されているのではないかという問題意識」(:同)があるとし, 山田は, それだけではない, 総体としての異文化間リテラシー(:17)を普遍化するために, 研究や実践と政策との接点をどう見据え, つなげていくか(:18)考えていく必要があるとする.

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2章 多文化共生をめざすカリキュラムの開発と実践(森茂岳雄)

森茂は, 多文化共生にむけた教育においてしばしば不可視の存在にされるマジョリティへの教育について, 日本の学校の持つ支配的な価値(日本的学校文化)を相対化し (23), 包括的な学校環境の中からマジョリティの児童生徒を含むすべての子どものためのカリキュラムを開発することの重要性を指摘する (:同).
そして, カリキュラム構築に伴うある種の「標準化」における差別・抑圧構造の隠蔽が行われないようにするためにも, 「批判的多文化主義」(critical multiculturalism)の考えに立つカリキュラム開発が大切だとする (38-39).

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3章 権力の非対称性を問題化する教育実践:社会状況とマイノリティ支援の関係を問う(清水睦美)
清水は, 「問題の個人化」と称される外国人の子どもの問題を彼ら/彼女ら個々の問題だとする支配的な言説が日本の学校にはある(:43)と指摘することから論をはじめる.
そして, 「文化的差異の強調」が「支配関係や差別関係の隠蔽」を回避し, 既存の社会における「差別・抑圧の構造」を問題化する教育実践の可能性はあるのか, と問う (45).
その問題に対して清水は, 日本の学校では「文化を鑑賞の対象としてしまう」ような教育実践(:46)がありがちだとし, そこに留まらずに「差別・抑圧の構造」が存在することを理解することで, 外国人の子どもたちの問題を「個人化」しない教育実践が生み出される可能性が拓かれる(:48)と指摘する.
一方で, 「差別・抑圧の構造」を見据え, それを変革することを試みる教育実践であっても, 「学校」という場は, 教師の認識の変化によって容易に変わるものではなく, 新たな実践によってより深く刻まれた「支配関係や差別関係の隠蔽」が浮かび上がりその特質を捉えて, さらにその変革を試みるという終わりのない営みが必要である(:53)という.

「多文化共生」は可能か―教育における挑戦