3/27/2014

星野源の復活アアアアア!


星野源の復活アアアアア!
2014.03.27 7pm start / 仙台市民会館・大ホール

ラプソディー・イン・ブルーの出囃子で登場した後, 深々とメンバーにお辞儀をして始められた1曲目は「化物」.
続く「ギャグ」と, 最初から大盛り上がり.

サポートは, ピアノ (野村卓史), ベース (伊賀航), ドラム (伊藤大地), ギター (長岡亮介), パーカション・キーボード(石橋英子)の5.
バンドとの相性もよく, そしてなにより星野源が楽しそうで (元気になってホントによかった!), 心地よい音楽が流れる.
底抜けに明るい とびりきのポップスを奏でたと思えば, 「くせのうた」や「生まれ変わり」ではグッと心に沁みる音楽で会場を満たす.
弾き語りで歌ってくれた「くだらないの中に」がbravoだった.

ライヴの最後は「ある車掌」.
しっとりと締めくくられた.

アンコールは布施(ニセ)明の「君は薔薇より美しい」(長髪の鬘に真っ白い衣装で登場!)と「地獄でなぜ悪い」.
終了は2115.

盛りだくさん, 最後まで大盛り上がりのライヴだった

3/23/2014

第7回 声楽アンサンブルコンテスト全国大会2014


7 声楽アンサンブルコンテスト全国大会2014
2014.03.23 / 福島市音楽堂

審査員紹介のあと, 郡山東高校の女声合唱(16人)によるラトビア民謡からスタートしたコンテスト.
はじめから透き通る声で会場中が満たされる.
どの団体もとても魅力的で, コンテストとはいえどれか一つを選べるようなレベルではなかったので, 以下, 少しずつ全団体についてまとめてみる.

2団体目の郡山市立安積中学校は佐藤賢太郎「Missa Pro Pace」の「Kyrie」から.
中学生のものではないヴェールに包まれた芯のある声で, だんだんと厚みを増していくハーモニーが素晴らしかった.

3団体目の熊本県・山鹿中学校の女声合唱は「涙」(無伴奏女声合唱曲集「なみだうた」(竹久夢二/信長貴富)から)の完璧に合ったunisonの圧力が印象的だった.

4団体目, 宮城県の一般団体「Bricolage」の8人は明るい音色の男声がbravi.
素朴で穏やかな優しいうた (Pekka Kostiainen曲「Veret tuli mun silimihini).
遥か昔, 音楽は こんなふうに始まったのかも, と思ってしまう.

5団体目の福島東高校はポジティフ・オルガンとチェロが加わった編成.
対位法声部の扱いはやはり難しいなと思ってしまう (個人的にはもっと少人数の方がよさが出るのでは, と思った).

休憩を挟んで6団体目は郡山高校の混声合唱.
Missa brevis op.102」(Knut Nystedt曲)はとても丁寧.
i thank You God for most this amazing day」(e.e.cummings / Eric Whitacre)は高らかに歌い上げられた.

7団体目は福井の童声合唱団「Smile(15人中 男子2).
シアターピース的に はじまった「かくれんぼ」(片岡輝/大熊崇子:同声(女声)合唱曲集「あそぶ神々」から)が印象的.
難しい現代曲をぴったりと歌い上げる子どもたちに驚いた.

8団体目の神奈川県・清泉女学院中学は安心して聴けるピッチとハーモニー.
後半, 半円型に並び替えて歌われた「Ubi Caritas」(Ola Gjeilo)と「Confitemini Domino」(Gyongyosi Levente)の現代宗教曲が圧巻だった.
複雑なハーモニーが高らかに鳴り響き光が差しこんだ.

9団体目は愛媛の一般団体「Vocal Ensemble Enchante.
間宮芳生のコンポジションの後で歌われた「わが抒情詩」(草野心平/千原英喜:混声合唱のための「コスミック・エレジー」から)の, どこまでも羽ばたく自由な声がなんとも魅力的だった.

10団体目の安積黎明高校の女声合唱(16人)は, 完璧なハーモニーでしっとり「かなしみについて」(谷川俊太郎/三善晃:無伴奏女声合唱のための「かなしみについて」から)を歌い上げた.

昼休憩を挟んで, 11団体目は青森の一般合唱団Apio (女声6・男声5).
Josquin des PrezKyrieはドラマチックな表現.
ただ, もっと丁寧で素朴な方が曲のよさが出せたのかもしれない.
Palestrinaの「Ave Regina coelorum」は男声のピッチが少し残念だった.

12団体目, 郡山第二中学校はオルガン・弦楽合奏(!)が入った編成 (MozartMissa in C KV258).
最初のKyrieから圧巻.
弦楽器も, soloを務めた4人も当然中学生なわけだが, 驚く表現力だった.

13団体目は埼玉・浦和第一女子高校.
ラトビアの合唱曲(Selga Mence他「Tris Miniaturas」から3曲)は不思議なエコーと拍子感が印象的.
とても難しいハーモニーなのに, 丁寧に仕上げられていた.

14団体目, 福島の一般団体・福島室内合唱団ではこの日はじめて伴奏にピアノが加わる.
こうして聴くと, ピアノが入る合唱はやはり難しいと思ってしまう.
無伴奏で歌われたFranz Bieblの「Ave Maria (Angelus Donmini)」(「Coro a Tre Voci Femminili(三つの聖歌)」から)が美しかった.

ラストの15団体目は郡山第五中学校.
こちらは弦楽合奏にFlCl, オルガンが加わった編成.
Rheinbergerの「Messe in C op.169」からKyrie, Gloria, Agnus Dei3曲が歌われたが, 冒頭のやさしい弦に最初からうっとりする.
ソリストの歌声も素晴らしく, 特にアニュス・デイのテノールがbravoだった.

審査の待ち時間で開催されたフレンドシップコンサートでは, フィリピンからの3つの団体による合唱(KILYAWAN MALE CHOIR(男声合唱)による現代曲, MUNTINLUPA VOCAL ENSEMBLEによる「We are the world, VOICE OF THE SOUTH CHILDREN'S CHOIRによる猫(おそらく…)の鳴き声によるコンポジション)と, 樋口達哉(ten)・金井信(pf)によるステージが届けられた (うたもうたうピアニストと, アンコールの「ネッスンドルマ」が印象的).

浅井敬壹氏(合唱連盟理事長, ボブ・チルコットと仲良し!)のあいさつ, 佐藤正浩氏とボブ・チルコット氏による講評のあとで発表された結果は以下.

5位 Smile
4位 郡山第二中学校
3位 安積黎明高校
2位 郡山高校
1位 郡山第五中学校

審査員特別賞 Smile
ボブ・チルコット賞 山鹿中学校

順位は付いたが, どの合唱も本当に素晴らしかった.
このレベルの合唱を一堂に聴くことができるコンテストは, 滅多に無いのではないだろうか.

最後の全体合唱(和合亮一/信長貴富「夜明けから日暮れまで」)のクオリティもやはり高く, 最後まで圧倒的な一日だった.  

3/09/2014

toma itoko dreamtime


toma itoko dreamtime
2010.04.07 / FCT-1002

高木正勝の作品などで耳にしてきた当真伊都子の音楽.
このアルバムでは, なんというか よりピュアな彼女の一面(ピアノ弾き語り)が聴ける.

漂う1曲目「sound of dream」がいい.
続く2曲目「helpless」は切ないダンス.
6曲目「as velvet」は深く染み渡る, 8分を越える作品.

どの曲もそっと寄り添うピアノがいい.
高木による美しいブックレットが添えられているのも心地よい一枚

ドリームタイム

3/02/2014

村田沙耶香 しろいろの街の、その骨の体温の


村田沙耶香 (2012). しろいろの街の、その骨の体温の. 朝日新聞出版

key word:教室の中の政治

教室の中の微妙な人間関係と政治.
それは女子小学生でも, 女子中学生でも, あるいは男子の間にも, 存在する.
村田沙耶香はその(思春期特有の, と書こうと思ったが, それは決して思春期に限ったものではない)心の襞の繊細な動きを, エロティックに生々しく書き上げていく.
それは誰もが一度は体験したことがある心の動きだろう.
だから読み手は, それが中学生(あるいは小学生)の話であったとしてもドキっとするのだ.

物語はニュータウンに住む主人公・結佳の小学生時代の話から始まる.
小説タイトルにある「しろいろの街」は, その開発中のニュータウンに対する結佳の呼び方だ (同じく, 結佳はこの街を「骨だらけの、巨大な墓場のような静まり返った街」(:142)と表現する).

小学生の結佳は, 特別になりたいと(密かに)思っている.
早く大人になりたい, 特別になりたい結佳は, 習字教室で一緒の, まだ子どもな同級生の男子・伊吹を性的にからかう (その気持ちは, 習字の七夕の短冊に「練習した「家族が元気で、楽しい一年でありますように」という字ではなく、「私だけのおもちゃが絶対にどこにもなくなりませんように」と」(:81)書かせる).

物語は後半, 中学生になった主人公らを描く.
少し大人になった伊吹は, クラスでも人気者の「幸せさん」(結佳がいう, クラスでも上位にいる人)になっていて, 二人の立場は逆転している.
だが, 教室の外では相変わらず伊吹は結佳のおもちゃなのだった.
その事実は, 教室のなかでは「中ぐらいのレベル」にいる結佳を安心させつつ, 同時にバレたらどうしようかと怖がらせる.
だから, 伊吹に「こんなふうにこそこそしないで、ちゃんと付き合おうよ。谷沢」(:144)と言われても, それは決して叶わないことなのだった.

物語はラスト, 教室で「下のレベル」にいる信子(小学校の幼馴染)が, 自分をからかう男子と「自分の誇りのために必死に戦う」(:238)場面を目にすることから急展開する.
その姿を見て「何度も立ち上がる信子ちゃんを、きれいだなあ、と思った」(:同)結佳は, 自分自身もついに立ち上がるのだった….

物語に一貫して流れる瑞々しさと臨場感は, 読み手を一瞬にして しろいろの街の中へと連れて行く.
かつての自分自身と決別した結佳と伊吹とのラストシーンは, その瑞々しさの延長にある.

思いがけず爽やかで, 妙に求心力のあるエンディングだった

しろいろの街の、その骨の体温の

2/21/2014

蜜 キス アンド クライでSHOW


蜜 キス アンド クライでSHOW
2014.02.21 / SENDAI KOFFEE. CO

蜜の「キス アンド クライでSHOW」ツアー・ファイナルとなったこの日のlive, 仙台での初ワンマンだという.
全くそんな感じがしないフロアのあたたかさに包まれて, liveはスタートした.

1曲目はニューアルバム「キス アンド クライ」から「箱の中のランデブー」.
2人がうたい出すとそこがどんな場所であっても, 一瞬にして世界が変わる.

この日は「初恋カプセル」(1stフル「eAt me!」)や「パープルスカイ」(), そして今日も大盛り上がりだった「踊り出せないLady」(1st EP「いくつかの恋」)まで, 懐かしい曲もいくつか.
traveling(宇多田ヒカル)やバウムクーヘン(フジファブ)など, カヴァーもうたってくれた.
ライヴ中盤, 橋詰くんがガットギターで弾いてくれた「ふたりの公園」(「HeSheShow」)は, 転勤族だったウニちゃんの子どもの頃を描いたものだという.
やわらかい弦の音と相まって, ちょっと切なく, あたたかくて…, とてもいい雰囲気だった.

蜜の音楽は, おかしく, 楽しく, そして切ない.
たったふたりでこの世界をつくってしまうのを凄いなと思うと同時に,(演奏している本人らも)とても楽しいだろうなと思う.
蜜の音楽は, liveで観るのが一番.

「アグレッシヴ」コール(アルフィーのliveで「アンコール」コールを聴いて(最近よくある手拍子だけではなく, 「アンコール! アンコール!」と発せられる掛け声がいいな, と思って)ウニちゃんが考えたという コール)を受けて演奏してくれたアンコールは,kiss and cry, そして「アセロラ」の2.
「アセロラ」は今日もピアノの弾き語り(+guitar)・生声でうたってくれた.

終演は21時過ぎ.
仙台でのライヴでは もはや好例となった, 通称・蜜おじさん(ピアノの調律師さんです)の蜜応援ボード(電飾付)が和やかな雰囲気を作るなか, 会場は最後までアットホームだった.

キス・アンド・クライ
HeとSheでShow
蜜狩り(初回限定盤)
eAt me!
いくつかの恋

2/08/2014

平野啓一郎 空白を満たしなさい


平野啓一郎 (2012). 空白を満たしなさい. 講談社

key words:復生者, 分人, 空白を満たす缶詰

主人公である土屋徹生は, ある日突然「復生」する.
3年前に死んだ男は, ある日突然, 蘇ったのだ.

戸惑いつつも, 徹生は妻・千佳や子・璃久と再会できたことを喜ぶ.
しかし, 千佳は徹生の死の真相が分からないまま, 素直に喜ぶことができないでいた.
徹生は自殺していたのだ….

徹生は自殺の真相に近付くべく自分と向き合っていくが, そこで出会うのが「分人」の考え方だ.
分人の考え方は「私とは何か:「個人」から「分人」へ」(平野啓一郎 (2012). 講談社)に詳しいが, たくさんの顔があるものの本当の自分はひとつだとするこれまでよくあった考え方と違い, 分人の考え方は, <本当の自分>はひとつではない, とうたう (もっとも<本当>とはなにか, は考えなければならない).
本作では, 自殺対策NPOの池端がゴッホの自画像を例に説明する形で, 分人の考え方が紹介される (319-330).
「五年前の自分と今の自分とが違うとすれば、つきあう相手が変わって、分人の構成比率が変わるからです。」(:327)という池端の説明は分かりやすい.
最初は戸惑う徹生であったが, 「人間は、分人ごとに疲れる。でも、体はもちろん一つしかない。疲労が注がれるコップは一個なんです。会社で、これくらいなら耐えられると思っていても、実はコップには、家での疲労が、まだ半分くらい残っているかもしれない。そうすると、溢れてしまいます」(:389-390)とディスカウントショップの秋吉(徹生を雇ってくれている)に言うように, 徹生も次第にその考え方を受け入れていき, 自殺の真相を, 自分自身を理解するようになるのだった.
一方, 秋吉は徹生に優しいことばをかける.
「見守る、でいいんじゃないかな? いやな自分になってしまった時には、他のまっとうな自分を通じて、静かに見守れば。消そうとしても、やっぱり、深いところで色んなことが絡み合ってるんだよ、多分。また絶望的な分人が生じて、それが勝手に走り出しそうになった時には、俺と一緒にいる時の今の徹生君になって、まあ、そう考えずにって、腕でも摑んで引っ張り戻せばいいよ。それを自分で出来るなら、もう大丈夫だよ、何があっても。」(:396)と.
この秋吉の言葉だけではなく, 優しさに溢れる力強いことばが, 本作にはたくさん詰められている.

秋吉をはじめとする徹生を取り囲む人物が, また, 璃久が生命力にあふれて生き生きと力強く徹生を肯定する存在として描かれるのとは対照的に, 徹生が以前働いていた会社の警備員・佐伯はなんとも不気味に描かれる.
「復生者の会」に現れた佐伯は,
「わからないのか? 俺は、お前の父親だ、徹生。」(:278
と呪いの言葉を残して飛び降り自殺をする.
最後まで徹生を追い詰める佐伯は, 主人公の生を全面的に否定する存在だ.
そして, 物語は生と死, そして自分(誰かとの関わりを介して見える自分)を巡って展開していく.

物語の終盤, 徹生は同じく復生者である木下と, 「残された人が、亡くなった人との分人を生きられるように、その人の存在を保存する」(:414)ビジネスを考える.
自分ではなく, 自分以外の大切な存在に心から感謝している徹生だからこその考えで, なんとも頼もしい.

その後, 復生者がまた現実世界から消えていっているらしいことを知るが, 徹生は迷いながらも前向きに生きることを選択する.
そして, 自分の死の真相を璃久に伝えるべく, 自身の告白をヴィデオに撮るのだった.
「それをUSBメモリに記録して、缶詰にして保存しようと思っている。それで、-いつか璃久が十分に大人になって、真相に耐えられるようになったときには、伝えてほしい。自分でその缶を開けて、『空白を満たしなさい』と。」(472), そんな言葉を残して.

物語はラスト, 次のように締めくくられる (493).

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世界が一斉に、目も開けていられないほどに眩しく輝いてゆく。永遠が、一瞬と触れ合って、凄まじい光を迸らせる。
璃久が駆け寄ってくる。抱き締めるまでは、もうあと少しだった。

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とても印象的な文章だった.

本書は雑誌「モーニング」が初出だという.
幅広い層が, 平野の分人思想について触れたのだろう.
ヨーロッパで「個人」という概念が誕生したのは, わずか300年前のこと.
近代において, 領地や教区, 都市などが解体されていくなかで生まれた「個人」が, 現在はさらに(意識レベルで)解体されていく時期なのだとwebで平野はいう.

ICT時代, 「わたし」をめぐる思想において「分人」思想はこれからどう流行していくのだろうか

私とは何か―「個人」から「分人」へ (講談社現代新書)