8/03/2014

第52回福島県吹奏楽コンクール


52回福島県吹奏楽コンクール
2014.08.03 / 郡山市民文化センター

今年もレベルの高い演奏が続いた福島県大会.
なかでも印象に残ったのは, 昨年度と同じく, 浜通りの三校の演奏だった.

湯本高校の演奏は, 課題曲4番(小林武夫:コンサートマーチ「青葉の街で」)と, ショスタコーヴィッチ(高木登古)の「交響曲第1番ヘ短調作品10」より第4楽章.
課題曲ではなんとも清々しいサウンドが印象的だった (triotpもまろやか).
自由曲ではロシアの重厚感たっぷりの演奏が心地よかった.
timpeuphの独奏も素敵だった.

平商業高校の演奏は, 課題曲2番(高橋宏樹:行進曲「勇気のトビラ」)とヒンデミット(篠崎卓美)の交響曲「画家マティス」.
課題曲はこの大人数でこんなにも軽く演奏できるのか, というくらいの流麗さ安心感.
picのオブリガートは今日一番の柔らかい演奏だったと思う.
ラストの終わり方が絶品.
自由曲はユニゾンのメロディが厚くたっぷり歌われたのが印象的だった.
そしてなんともお洒落な演奏だった.

磐城高校の演奏は, 課題曲4番とシュミット(根本直人)のディオニソスの祭り.
相変わらず会場中の空気を揺らす音圧で, たっぷりと演奏した.
課題曲のtrioは音量ではなく明るさで聴かせる仕方.
bnsoloも無理には聴かせず, 爽快なままラストまで快走.
最後の音符が長めに収められたのが印象的だった.
自由曲はリズムが自在に伸び縮みして歌い上げられ, 原始的で野性的な雰囲気を存分に出していた.

ところで, 課題曲5番(谷地村博人:きみは林檎の樹を植える)を演奏した団体が, 1団体あった.
先日の山形県大会でも1団体あったが, やはりとても難しい作品である.
今日の演奏は(そして先日の山形での演奏も)滲む遠近感や そろそろと蠢く感じがほとんどなく, 力わざばかりが続いてしまった. 
ラストも揺蕩う感じが無く, くっきり, はっきりしすぎた音が並ぶのだった.
もう少し余韻を楽しめる終わり方がこの曲には必要なのではないか…, そんなことをまた思った.  

7/05/2014

dakota suite & quentin sirjacq there is calm to be done


dakota suite & quentin sirjacq there is calm to be done
2014.07.03 / SCH-035

dakota suiteとピアニスト(兼 作曲家)・Quentin Sirjacqによる作品.

なんともおだやかな暮らしの音楽だ.
日々の暮らしにこんな音楽が添えられたらとても素敵だろう.

優しいうた(1曲目「this is my way of saying that I am sorry」)からアルバムはスタート.
歌声は波音のように心地よい.

5曲目 (nu dat deze dag voorbij is), いったい何語のタイトルか?
クラリネットの二重奏が染みわたる.

7曲目(「ask the dusk」)は夜に歌うピアノ.
美しく, 切ない.

13曲目(「I miss the dust」)と, アルバム・ラストの14曲目(「onzekerheid」)が絶品.
少し冷たく奏でられる, 滲んだピアノ.
祈りの音楽.
それはなにを慰めるうたか.
宇宙の拡がりを聴くものに思わせる.

それぞれに付けられている意味深なタイトルもいい

emancipator soon it will be cold enough


emancipator soon it will be cold enough
2008.04.25 / HPD10

この手のCD(と言ってしまうが…, いわゆるクラブ・打ち込み系の音楽)はうるさすぎるものが多くて, 知らないアーティストのものを買うのは意外と賭けだったりするのだけれど…, 穏やかなモノトーンのジャケットが気に入って手に取った一枚.

ところどころ, どこか日本(東アジア)的な楽曲が12曲収められている.

3曲目(「when i go (featuring thao nguyen)」)など, テキストのある曲もあるが, 体温が低い音楽なのがいい.
アルバムタイトル曲である11曲目(「soon it will be cold enough to build fires」)も不思議な(意味があるのか無いのかよくわからない)うたが添えられた, 心地いい一曲.

不思議な浮遊感のある音楽.

(写真は, このあいだ おじゃました天童市「chez bon)

6/27/2014

萱森直子 瞽女唄


萱森直子 瞽女唄
2014.06.27, 7 PM start / 土礼味庵(山形県川西町玉庭)

「瞽女とは, 他の手段ではなかなか生きていけなかった人々のことである. その意味でわたしは瞽女ではないし, 現在瞽女は絶えてしまったが, 瞽女唄は うたい継いでいきたいと思っている」
最初にそう語った萱森.
会場となったのは300年近く前に建てられた古民家.
かつては実際に瞽女宿だったというのだから驚く.

1曲目は門付け唄(長岡の瞽女唄「瞽女松阪」)から.
いつもこの唄から始めるのだという.
絞り出すような声が, 部屋の空気を一瞬にして変えた.

続いて2曲目は段物(だんもん):祭文松阪の「佐倉宗五郎」から, 2つの場面を抜粋して.
昔の人も同じくその話に惹きつけられ, 手に汗 握ったのだろうか.
三味線と唄だけだというのに, この臨場感はなんとも不思議.

休憩ののち, 「信州追分」を挟んで「佐倉宗五郎」の続き.
そして最後に立ち唄(お別れの唄)として「しげさ節」を唄ってくれた.
これは長岡ではなく高田の瞽女唄だという.
もの哀しい節に, 小粋な歌詞が載る.
かつてはこのような立ち唄を, その村を離れる際に家の軒先や村の境の大きな木の下などで唄ったのだという.

どの唄も, 哀愁と迫力, 相反する魅力が共存している不思議なもの.
ただ, この魅力はきっと同じ空間で生で聴かなければ感じられないものだとも思う.
身体の底から絞り出されるうた声がヒリヒリと震わせる空気が, 瞽女唄の一番の魅力だ.  

6/07/2014

Noism 劇的舞踊「カルメン」


Noism設立10周年記念 Noism1×Noism2合同公演 劇的舞踊「カルメン」
2014.06.07. 5 pm start / りゅーとぴあ 新潟市民芸術文化会館 劇場

開演前から, ステージ上手には何やら書きものをしている丸メガネに帽子の男 (旅の学者・メリメ).
傍らに置かれた蓄音機からはジプシー風の音楽が流れている.
突然大音量で奏でられた「カルメン」序曲の後で, 男は独白するのだった.
自分は今, ホセという男の物語を書いている.

まずここで観客は驚く.
Noismの舞台で, 演者がセリフを話す….

ビゼーのオペラとは違いメリメの原作である「カルメン」では, 旅する学者・メリメがホセに出会い, ホセが語った物語を学者が記すという構造になっている.
その構造に出会ったときに, この作品は言葉を用いた表現をする「旅する学者」が舞台上に(客席と舞台とを繋ぐ存在として)必要だと思ったという金森 (:公演パンフレットより).
セリフが用いられた背景にはそんな思いがあったようだ (ところで, そのメリメの役を演じた奥野晃士(SPAC)がとてもいい味を出していた (メリメと共に物語のガイド役を果たした謎の老婆「ドロッテ」(奥野のblogではメリメの妻と紹介されていた. ただし, 言葉を話すのはメリメだけ)も同じく, いい味を出していた)).

舞台が始まってしばらくして, これは いつになく "分かりやすい" 舞台(ダンスも, コミカルな芝居も)だと思ってしまう.
だが, またしばらくすると身体は, 舞踊はこんなにもメッセージ性をもっているメディアなのだ, ということに気が付く.
舞踊は言葉だ.
憎しみ, 嫉妬, , 苦悩…, たくさんの感情を言葉以上に語る.

そのたくさんの感情を, 全身で表現したのがカルメン役の井関佐和子だった.
圧倒的な存在感で観る者を存分にイラつかせた.
その一方で, 終盤のカルメンとホセの踊りは切なく, そして美しく, 涙を誘う.
ぐるぐると掻き乱される心に, カルメンの周囲の人物同様, 観ているこちらも苦しくなってしまうのだった.

闘牛場でのミカエラ(青い女)の嗚咽・号泣シーン以降, 舞台はラストに向けて加速していく (終演を迎えたとき, もう2時間も経っていたのか!という印象).
終盤, 死んだ者たちの苦悩の踊りが繰り広げられる.
その姿に慄き, 苦しむカルメン.
この踊りが圧巻だった.
舞台上には何もないというのに, 身体ひとつでなんとも壮大な物語を見せた.

その他, スクリーンに映し出される影絵の仕掛けや, 木工による素敵な舞台美術, 休憩中も客席内を歩き回るジプシーの女たちの演出など, 舞踊以外にもたくさんあった仕掛けからも, まさに「劇的舞踊」の様相が伺える舞台
舞踊でも, もちろん演劇でもない, 全く新しいアートだった. 

アフタートーク(1915分の終演後, 20時過ぎまで繰り広げられた)で, 「結果論だけど, 10年色々な角度へ突っ走ってきて, 10年の節目で一番分かりやすいものができた」と語った金森穣.
昨日(初日)は2幕と3幕との間(闘牛場のミカエラの踊り)でも休憩を挟んだことにも触れ, 公演のたびに手を加えながら, 観客により伝わるよう作品を育てているとも語った (この休憩が無かった今日の方が, ラストへの求心力とカルメンの苦悩への道筋がより伝わりやすくなったのだと思う).
そのうえで, 「もっとワクワクしたい」という金森.
次の作品も楽しみだ.

※写真は新潟市・「案山子」でいただいた「のっぺ」という新潟の郷土料理(里芋, こんにゃく, たけのこ, かまぼこ…, などをホタテの貝柱で煮て冷やしたもの)とノドグロの刺身 (大きいのは脂がキツいので, お刺身にするのは小さいやつなんだそうです). 物腰やわらかな大将がいろいろと教えてくれました

5/18/2014

大橋トリオ DELUXE BEST


大橋トリオ DELUXE BEST
2014.03.05 / RZCD 5950911/B

豪華4枚組, 大橋トリオ・初のベストアルバム.

1枚目の「スタンダードベスト」, 2枚目の「バラードベスト」もいいが, 3枚目の「カバーベスト」がとてもいい.
「贈る言葉」(海援隊)や「traveling(宇多田ヒカル), 「ラストシーン」(布袋寅泰:大橋トリオ名義では初)など発表済みの曲の他に新しく「Water is wide」も収められている.
彼が見ている/耳にしている世界が, そして彼がつくりたい音楽がよく分かるような曲の数々.

もう一枚, 4枚目はミュージックビデオを収めたDVD.
まさにデラックス!

(上の写真はお昼にお邪魔した仙台市「オジーノカリーヤ」. そして下の写真は昨日お邪魔した上山市の「HATAKE Cafe. 春です)


5/12/2014

観世銕之丞 杜若


12 東北芸術工科大学伝統館 薪能
2014.05.12 / 東北芸術工科大学水上能楽堂「伝統館」

「千鳥」(山本東次郎)と「杜若」(観世銕之丞)の2.

「杜若」は恋之舞の小書演出付き.
橋掛りに立つ杜若の精の, 水面にゆらめく炎と黄金色の唐衣.
最後, 橋掛りを帰って行く旅僧の後姿がなんとも切なくて, それはまさに一夜の夢から覚めて彷徨うさま.
水鏡に映る恋しい人の名残の向こうに, 果たして何を見たのか….

薪の爆ぜる音とその香り, そして時折吹き抜ける風が心地よいなか, そんなことを想った

5/03/2014

米原万里 心臓に毛が生えている理由


米原万里 (2008). 心臓に毛が生えている理由. 角川学芸出版.

key word:文化を跨ぐ

ロシア語通訳者であった米原万里のエッセイ集.
以前ふと目にして気になっていた文章を探していたのだが, その文章が収められていたのがこの本だった.

そのエッセイは「○×モードの言語中枢」(:106-109)という, プラハから帰ってきた日本の中学校で, 年号を答えさせるものや○×方式での回答のみ求められる歴史のテストに「正直言って、嘘じゃないか、冗談じゃないかと思った」(:107)というものだった.
その続編となるエッセイ「脳が羅列モードの理由」(:134-137)と合わせて, 多文化で育った筆者ならではの視点が新鮮で面白い.

その他にも, 「餌と料理を画する一線」(:81-84)というエッセイでは, 陶磁器ではなくプラスチックの食器が多く用いられるようになった状況を「日常的に食事のプロセスを楽しむことなどに一片の価値も見いだせない効率一辺倒な、快楽を無駄としか解釈できない精神の貧しさが、未だに日本人の食生活の、いや生き方の根底にあるのではないか。まるで発作のようにどこか落ち着きのないグルメブームの背後にも、そういうせかせかした貧乏根性が見え隠れしてならない。」(:84)と喝破する.
海外での暮らしが長かった筆者ならではの視点で, 痛快にまとめてくれる.

また, ロシア語ではあまたある褒め言葉が日本では「スッバラシイー」の一言で全て事足りて便利だといったチェリスト・ロストロポーヴィッチに触れたエッセイ「素晴らしい!」(:122-125)では, 「何しろ、『枕草子』の頃から、心を揺さぶられたおりの多様なニュアンスを、「あはれ」の一言で括ってきた伝統が、わたしたちの言語中枢に息づいている。若い御嬢さんたちが、好ましいモノすべてを、「カワイイ」の一言で片づけているのも、清少納言の延長線上で捉えれば、眉ひそめるのも躊躇われてくる。」(:124-125)という.
なるほど, 言われてみれば納得である.

エッセイの話題は多岐にわたるが, どれも愉快痛快, 面白い文章ばかりである (ちなみに本のタイトルは, 小さな差異が気になって仕方ないタイプの人は同時通訳という職業には向かない, 同時通釈者の心臓は剛毛に覆われている(省略して構わない言い回しはすっぱりと切り捨てていい)と書く同名のエッセイ(:126-129)から来ている)

※amazonでの取り扱いは文庫本のみ