平野啓一郎 (2012). 空白を満たしなさい. 講談社
key words:復生者, 分人, 空白を満たす缶詰
主人公である土屋徹生は, ある日突然「復生」する.
3年前に死んだ男は, ある日突然, 蘇ったのだ.
戸惑いつつも, 徹生は妻・千佳や子・璃久と再会できたことを喜ぶ.
しかし, 千佳は徹生の死の真相が分からないまま, 素直に喜ぶことができないでいた.
徹生は自殺していたのだ….
徹生は自殺の真相に近付くべく自分と向き合っていくが, そこで出会うのが「分人」の考え方だ.
分人の考え方は「私とは何か:「個人」から「分人」へ」(平野啓一郎 (2012). 講談社)に詳しいが, たくさんの顔があるものの本当の自分はひとつだとするこれまでよくあった考え方と違い, 分人の考え方は, <本当の自分>はひとつではない, とうたう (もっとも<本当>とはなにか, は考えなければならない).
本作では, 自殺対策NPOの池端がゴッホの自画像を例に説明する形で, 分人の考え方が紹介される (319-330).
「五年前の自分と今の自分とが違うとすれば、つきあう相手が変わって、分人の構成比率が変わるからです。」(:327)という池端の説明は分かりやすい.
最初は戸惑う徹生であったが, 「人間は、分人ごとに疲れる。でも、体はもちろん一つしかない。疲労が注がれるコップは一個なんです。会社で、これくらいなら耐えられると思っていても、実はコップには、家での疲労が、まだ半分くらい残っているかもしれない。そうすると、溢れてしまいます」(:389-390)とディスカウントショップの秋吉(徹生を雇ってくれている)に言うように, 徹生も次第にその考え方を受け入れていき, 自殺の真相を, 自分自身を理解するようになるのだった.
一方, 秋吉は徹生に優しいことばをかける.
「見守る、でいいんじゃないかな? いやな自分になってしまった時には、他のまっとうな自分を通じて、静かに見守れば。消そうとしても、やっぱり、深いところで色んなことが絡み合ってるんだよ、多分。また絶望的な分人が生じて、それが勝手に走り出しそうになった時には、俺と一緒にいる時の今の徹生君になって、まあ、そう考えずにって、腕でも摑んで引っ張り戻せばいいよ。それを自分で出来るなら、もう大丈夫だよ、何があっても。」(:396)と.
この秋吉の言葉だけではなく, 優しさに溢れる力強いことばが, 本作にはたくさん詰められている.
秋吉をはじめとする徹生を取り囲む人物が, また, 璃久が生命力にあふれて生き生きと力強く徹生を肯定する存在として描かれるのとは対照的に, 徹生が以前働いていた会社の警備員・佐伯はなんとも不気味に描かれる.
「復生者の会」に現れた佐伯は,
「わからないのか? 俺は、お前の父親だ、徹生。」(:278)
と呪いの言葉を残して飛び降り自殺をする.
最後まで徹生を追い詰める佐伯は, 主人公の生を全面的に否定する存在だ.
そして, 物語は生と死, そして自分(誰かとの関わりを介して見える自分)を巡って展開していく.
物語の終盤, 徹生は同じく復生者である木下と, 「残された人が、亡くなった人との分人を生きられるように、その人の存在を保存する」(:414)ビジネスを考える.
自分ではなく, 自分以外の大切な存在に心から感謝している徹生だからこその考えで, なんとも頼もしい.
その後, 復生者がまた現実世界から消えていっているらしいことを知るが, 徹生は迷いながらも前向きに生きることを選択する.
そして, 自分の死の真相を璃久に伝えるべく, 自身の告白をヴィデオに撮るのだった.
「それをUSBメモリに記録して、缶詰にして保存しようと思っている。それで、-いつか璃久が十分に大人になって、真相に耐えられるようになったときには、伝えてほしい。自分でその缶を開けて、『空白を満たしなさい』と。」(:472), そんな言葉を残して.
物語はラスト, 次のように締めくくられる (:493).
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世界が一斉に、目も開けていられないほどに眩しく輝いてゆく。永遠が、一瞬と触れ合って、凄まじい光を迸らせる。
璃久が駆け寄ってくる。抱き締めるまでは、もうあと少しだった。
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とても印象的な文章だった.
本書は雑誌「モーニング」が初出だという.
幅広い層が, 平野の分人思想について触れたのだろう.
ヨーロッパで「個人」という概念が誕生したのは, わずか300年前のこと.
近代において, 領地や教区, 都市などが解体されていくなかで生まれた「個人」が, 現在はさらに(意識レベルで)解体されていく時期なのだとwebで平野はいう.
ICT時代, 「わたし」をめぐる思想において「分人」思想はこれからどう流行していくのだろうか.
私とは何か―「個人」から「分人」へ (講談社現代新書)