作:別役実, 演出:深津篤史 新国立劇場「象」
2013.07.30 / 山形 シベールアリーナ
ステージ上は大量の古着で無尽蔵に埋め尽くされている.
中央に病院の白いベッドがひとつ. 会場には(開演前から)雨の音がしとしとと響き渡る.
雨音が静かに響く薄暗い病室に, 誰からも着られなくなった衣服が敷き詰められている光景….
舞台は戦後であるが, この光景に震災を思い出した人も少なくなかったのではないだろうか
(わたし自身も, 昨年見た越後妻有トリエンナーレ(十日町「キナーレ」)でのボルタンスキーのインスタレーションを思い出してしまった).
ものがたりのあらすじはこうだ
(以下, パンフレット(新国立劇場運営財団営業部 (2013). 象, 公益財団法人新国立劇場運営財団:4)より引用).
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入院中の「病人」をその甥である「男」が訪ねてくる。
「病人」は広島への原子爆弾による被害者で、街頭で裸になって背中のケロイドを見せ喝采を浴びていたが、病状が悪化し、今は入院をしているようだ。2人の会話から「男」も被爆者であることが明らかになる。
「病人」はまた元気になってあの町でケロイドを見せたいと願っているが、「男」は静かにそのときを待つべきだと主張する。
2人の生き方の違いを主軸に据えながら、「病人の妻」、「医者」、「看護婦」など2人を取り巻く様々な人々の姿から、被爆者の抱える問題、それを取り巻く世の中の問題が垣間見えてくる。そして遂に「男」も発病し、「病人」の隣のベッドへと入院することになる。あくまでも行動的な「病人」とは対照的に静かに死を迎えたいと願う「男」。
ある雨の日、遂に「病人」はあの町へ出かけることを決意する。
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劇は, 傘をもつ男(木村了)の長いセリフで幕を開ける.
印象的な幕開けだ. その男が対峙するのは, 「背中のケロイドを聴衆に見せて喝采を浴びたい」と執拗に(滑稽なまでに)言い続ける「病人」(大杉漣)だ.
この大杉蓮の演技が素晴らしかった.
前から2列目で観劇したのだが, その熱が真っ直ぐに伝わってくる熱演だった.
喚き立て大声を出してアピールする病人と, それとは対照的に, 静かに苦難を受け入れようとする(あるいはその経験を恥じているかのようにすら見える)男.
二人は最後まで相容れない. それゆえ, 劇には一貫してなんともいえない寂しさ, やるせなさが漂う.
他の登場人物もてんでバラバラに自分のセリフを発しては, 暗闇に, あるいは古着の山へとまた消えていく.
とことん続くディスコミュニケーションに, いたたまれない気持ちを通り越して微かに怒りすら生まれてくるのだった.
しかし, そんな風に観客の反応が掻き立てられたのは, 役者の熱演があってこそだ.
病人の妻を演じた神野三鈴
(brava!), 看護婦を演じた奥菜恵, 医者を演じた羽場裕一, 通行人を演じた山西惇, と, どの役者も大変な熱演だった.
劇のラスト, 男のセリフがまた印象的だった.
「お月様. 明るすぎる. まるで昼間だ」月明かりに照らされ, 男はなにを思ったのか.
その気持ちを観客に想像させながら, 芝居は幕を閉じた.
終演は20時45分.
鳴り続くカーテンコールが, 劇の熱の凄さを物語っていた.