馬場駿吉ほか編 (2013). 芸術批評誌リア, 29. リア制作室.
key words:ジョンケージ生誕100年, 美術と音楽のあいだ
REAR(リア)29号の特集は「音をめぐる論考」であった.
この特集では, 「音をめぐる創作と企画において, その可能性と課題を照射する」(:1)ため, 以下の4つの論文が掲げられた.
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舞台の上の音楽を視る(橋本知久)
橋本は, 「単に演劇やダンスに「従属する音楽」ではなくて, ユニークな活動を行っている音楽家をともに作品を作っていくパートナーとして位置づけ, 彼らの専門性を生かした, 総合的な共同創作を目指す企画が増えてきているように思われる」(:2)ことから論をはじめ, サウンドアートや単なる舞台音楽とは違ったパフォーマンスを目指そうとするものも見られる(:同)として, ニブロールや柴幸男, 三浦康嗣, 白神ももこらによる作品を紹介する.
そして, 「ジャンルにとらわれることなく対話をしたいし, 対話の結果生まれる表現に出会いたい. 個性的な音のあるところ, そこに「生きる智慧」がある」(:6)とした.
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ケージの今日性:日本でのジョン・ケージ生誕100年企画を見渡して(藤井明子)
ケージの生誕100年, 没後20年にあたった2012年に開催された催しをその企画性に着目していくつか取り上げ, その特徴からケージの今日性について試論を述べた(:7)藤井は, この年に開催された数多くのケージ作品の演奏を紹介することから始める.
そして, 音楽だけにはもはや留まらないその拡がりを踏まえて, 「音楽の枠そのものを問」うたケージの思想は, 「今日、現代芸術の通奏低音のように引き継がれている」(:10)とした.
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「声」は何を呼び起こすか:山川冬樹論(藪前知子)
この稿では, アーティスト・山川冬樹(1973-)の活動に着目しながら, 「音」や「声」を素材にした美術表現について考察された.
「声」のパフォーマーとして知られてきた(:11)山川の活動をエスノグラフィックに記述したものであるが, 「声」という現前するものが憑代となり「不在」をよみがえらせるような彼の作品から, 生きた行為として表象を表現の側に取り戻す「声」の重要性を指摘した
(:12).
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美術(展示)と音楽(公演)のあいだ(後々田寿徳)
ギャラリーオーナーである後々田は, 過去に音楽家たちのライヴを自身のギャラリーで開催してきた経験から, 美術と音楽のあいだについて考察する
(:16).
美術家が認識する「インスタレーション」と, 音楽家が唱える「ライヴ」との違いに触れ
(たとえばジェームズ・タレル(反復体験可能な展示と認識)の「光の館」と梅田哲也(一回性の演奏行為であるライヴと認識)の「小さなことが大きくみえる」), 音楽家らがもっている, 疑似体験への無抵抗さ(アーカイヴ(記録された作品)による美術経験(つまりは複製による経験)を前提としている美術側のスタンス)への疑問(:17)を指摘する. そして, 音楽家がつねに観客を意識しているのに対し, 美術家はいったい誰に向かって作品を発表しているのだろうか, と問うことで, 音楽家と美術作家のあいだにある非対称な関係を指摘した (:18).
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以上である.
論考が集められただけのオムニバスであり, 特集としての意図があまり明確ではなかったが, 後々田の指摘が面白かった.
音楽家(ここで挙げられるのは梅田哲也やSachiko M)らにとってのアーカイヴはオリジナルのコピーではなく, その点で, アーカイヴ化を前提として発表される近年増えたいわゆるプロジェクト型アートとは似て非なるものだ
(:17). 一回性と複製…, そんなところにもケージを巡る議論はヒントを与えそうだと思いながら, 興味深く読んだ.
REAR〈no.29〉―芸術・批評・ドキュメント