西島千尋
(2010). クラシック音楽は、なぜ〈鑑賞〉されるのか:近代日本と西洋芸術の需要. 新曜社.
key words:鑑賞, musicking
2009年に筆者が金沢大学へ提出した学位論文にもとづいた(:219)一冊.
まずはタイトルにドキッとさせられる.
たしかに, なぜ音楽は, あるいは芸術は鑑賞されるのか.
聴く, 聞く, 観る, 見る, ではダメなのか….
「鑑賞」という言葉は, 明治の日本が芸術を輸入する際に, それを肯定することを前提としてつくり上げた日本独自の言葉だ(英語にも他の言語にもそれに当たる言葉はない)という (:「はじめに」より).
ヨーロッパで生まれた美学の分野に, 鑑賞という言葉は存在しない(:13)し, そもそも「音楽」が「きく」対象として集中して意識されはじめたのは19世紀中頃になってから(渡辺裕「聴衆の誕生」)らしい.
本書は, その「「鑑賞」という概念の変遷を通して、音楽が「きく」べきものとなり、また「わかる」べきものとなったプロセスを知ること」(:13)を目指す一冊だ.
「日本にだけある〈鑑賞〉という言葉」について述べられた序章に続き, 本書の前半では「鑑賞」という言葉やその周辺をめぐる言葉(享楽, 批評, 観賞…)の使用法の変遷をたどりながら, 日本独自の鑑賞のポジションが形成されていく過程が示される.
第Ⅰ章では, 明治期の日本が, 「高尚」な音楽によって「高尚」な国家を目指すため「芸術音楽」を輸入していく過程が描かれる.
当時, クラシック音楽は一部のエリートにさえ接触する場が限られていたものだったので, 関係者らは, 具体的に展開される唯一の西洋音楽の媒体である学校教育における「唱歌科」に, 「下劣」で「不健全」(!)な日本の音楽の追放を期待していた(:46)のだという.
その後, 音楽は次第に「きく」対象として意識されていくことになる.
第Ⅱ章では, 明治の唱歌教育から大正期の音楽教育への変化, 蓄音機やレコードの普及を背景に, 大正13年に日本で最初の音楽鑑賞教育書が出版される(:78)様子を描く.
芸術がもつ「美」の力が意識されるようになり, 明治には専門家の行為であった〈鑑賞〉が, 子どもたちにまで拡げられていく様子が指摘される.
第Ⅲ章では, 大正期に吸収された欧米の芸術教育思想が日本独自に展開されるようになる(:91)昭和の様子が描かれる.
「なぜ日本国家は、何もかもが「お国のため」で「贅沢は敵」という非常時に、クラシック音楽の〈鑑賞〉をすすめたのだろうか。」(:101)
そこには, 「精神」に資することを訴えることで生き残りを図った(:113)「レコード」産業と, 児童・生徒の幸福は「きく」ことだと割り切られるようになった(:116)教育方針の存在があるのだった.
第Ⅳ章から第Ⅵ章では, 戦後学校音楽教育の変遷が紹介される.
まず第Ⅳ章では, 「第1次学習指導要領(昭和22年)によって、後の日本の
世界に類のない徹底した鑑賞教育の基をつくった」(:124)諸井三郎の仕事について紹介される.
続く第Ⅴ章では第2次学習指導要領(昭和26年)について紹介される.
この時期においても, まだまだ鑑賞(音楽をただ「きく」, 「理解する」こととは違う, 精神活動としての〈鑑賞〉)の意義は浸透しておらず, それに鑑賞設備や方法の不備も重なり, 「〈鑑賞〉はあまり実施されなかった」(:147)という.
この状況が大きく変わるのは, 第3次学習指導要領(昭和33年)からである.
第Ⅵ章では, 「試案」から「告示」に変わり法的拘束力をもつようになった, この第3次学習指導要領について紹介される.
第3次学習指導要領では, 共通教材が指定されることになる.
「国家単位の鑑賞教材の画一化は他国にも例がない」(:154)のだという.
また, 第3次学習指導要領では, 「歌唱」もしくは「歌唱」を含む表現領域よりも先に「鑑賞」の領域が記されている(:161)ことからも鑑賞が重要視されていたことが分かると指摘される.
しかし, 第Ⅶ章で示されるとおり, 鑑賞教育は失敗に終わることになる.
「何よりも失敗とされたのは、子どもたちがクラシック音楽を好きにならないということであった。」(:179)
そして, 「クラシック音楽を愛好させられない音楽鑑賞教育は、鑑賞共通教材が廃止される第7次学習指導要領(平成10年)が施行される頃になっても失敗だと受け取られ続けた。」(:195)
さらに, 国家がいわば強引に進めてきた鑑賞教育の弊害も, ここでは指摘される.
それは, 芸術が「教育の一部として認識されてきたために、公共が無料で提供するものといった意識が根強く」(:192)なったことである.
以上を踏まえて, 終章「なぜ日本にだけ〈鑑賞〉という言葉が生まれたのか」では, 日本の音楽鑑賞教育の功罪がまとめられる.
その要旨は以下のようなものだ.
・「音楽教育における〈鑑賞〉をめぐる動向は、鑑賞教育がクラシック音楽の正典(カノン)に聴衆としてかかわることに収斂されていく様子を表している。」(:200)
・「本書で追ってきた〈鑑賞〉の変遷は、〈鑑賞〉が抱え続けてきた「客観性か主観性か」「心か言葉か」という二元論の間を揺れ動いてきた歴史」(:203-204)といえる.
・その一方で, 「日本人はクラシック音楽を「好きではない」「興味がない」とは言わず「わからない」と言う。この点において、世界にも例のないクラシック音楽鑑賞教育は、地域や世代にかかわらず「世界共通ルールとしての鑑賞」の教育を万遍なく浸透させた」(:202)ということもできる.
最後に, 筆者は次のように指摘して論を閉じる.
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…(前略)どのような場でも、どのような音楽すること(ミュージッキング)でも、「聴衆」が〈鑑賞〉に終始すれば、音楽の多様なあり方の可能性を閉じてしまうだけでなく、生み出されうるかも知れないあらゆる関係性の可能性も閉じられてしまうかもしれない。
本書では〈鑑賞〉という語の変遷をたどってきたが、それは、音楽すること(ミュージッキング)にはどのような関係性があり、どのようなかかわり方があるのか、また、そのなかで自分はどのかかわり方を好ましいと感じるのか、ということを考えるということでもあった。(:218)
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普段何気なく使っている「鑑賞」という言葉から, こんなにも興味深い歴史と隠された意図, そして政治が次々と暴かれていく.
とても興味深い社会学の一冊だった.