原田マハ・高橋瑞木 (2014). すべてのドアは、入り口である。:現代アートに親しむための6つのアクセス. 祥伝社.
key word:アートがある人生
小説家・原田マハと, キュレーター・高橋瑞木の共著(対談含む)である.
「現代アートがわからない、という人でも、アートに興味がもてる本を作ろうよ」(:8)との思いで作られたのだという.
本書には, 第1のドア「現代アートってなに?」, 第2のドア「現代アートの楽しみ方」, 第3のドア「二人が選ぶ、今知っておきたいアーティスト」, 第4のドア「美術館に行こう」, 第5のドア「瀬戸内のアートと旅」, 第6のドア「日本的風土と現代アート」の6つの章(ドア)が設定されている.
まず, 第1のドアで二人は, 第二次世界大戦後を「コンテンポラリー・アート」の起点と定める (:21).
(もっとも, 「現代アートとがなにか」という前に「アートとはなにか」という命題がある(:43)ことにも二人は触れている)
その前に二人は, 19世紀半ばに写真という技術が現れたとき, 「絵とは何か」という絵画に対する自問自答が始まり, アーティストが自分の制作に対する問いかけに自ら答えていくサイクルが出来たことに触れ, 「現代アートの歴史は、つねに確立された前例や既存の価値を乗り越える、壊すという繰り返し」だとするのだった (:24).
第2のドアでは, 二人なりの現代アートの楽しみ方が提示される.
印象的だったのは, 「自分が見ている世界というものがまずあって、それが現代アーティストの視点を通して見た瞬間に、急に違って見える」(:63)ことがあり, それを味わうことが現代アートの楽しみ方のひとつだという原田の意見だった.
第3のドアでは, アンディ・ウォーホールからChim↑Pomまで, 二人が薦めるアーティストが15人(組)紹介される.
第4のドアでは, 「アートとは、「見せる」/「見にいく」という、アーティストと私たち、相互の体験があってこそ、初めて成立する」(:204)ものであるとし, 二人が大好きな近美や都現美などの美術館へ実際に行ってみることが薦められる.
そして第5のドアでは, 直島, 広島市現代美術館, 丸亀市猪熊弦一郎現代美術館, 道後オンセナートが, 第6のドアでは太宰府天満宮のアートプログラムが紹介されるのだった.
どれも読んでいるだけで 行ってみたい!と思わせる面白い文章だった.
最後, あとがき(:275)で高橋はこういう.
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本書のための取材や執筆作業の間、アート作品とは結局なんなのだろう、と私もずっと考えていました。原田さんは「ドア」にたとえました。私はアート作品は、それが制作された時代や場所へアクセスするための「窓」であり、また、作者を映す「鏡」であると考えます。
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そして, 見る人への問いかけを含んでいるのがアートであり, 現代アートなのだとするのだった.
好奇心を駆り立て, 作品を観に行ってみたい, 旅をしたい と思わせる一冊だった.